前回孤児院の問題として、親族の家に住みたい(要するに孤児院を出て行きたい)という子供達が出てきたことを書いた。
(参照記事)
・孤児院の問題様々
http://hugs-int.com/kengo/archives/1265
その時にオーストラリア人のボランティア教師であるクレアにも、孤児院との間にちょっとした問題があると言う話に触れたんだけれど、今日はそのことについて書きたいと思う。
このクレアという女の子は若干23歳にして孤児院でボランティアを長期間するために、オーストラリアでアルバイトを3つもかけ持ちして貯めたお金で、単身カンボジアに渡ってきてうちの子供達に英語を始めとする教育をしてくれている、ちょっと珍しいくらい素晴らしい人だ。
クレアの両親を始めとする親族もこれまた超が付くくらいのいい人ばかりで、みんなでクレアを後押ししていて年二回くらいは家族ほぼ総出でカンボジアにやってくるばかりか、オーストラリアでの寄付金集めなどの活動も行なっている孤児院のビッグサポーターだ。
で、ちょうど今クレアは一旦休暇を取ってオーストラリアに帰っているんだけれど、その前に僕と話しがしたいってことだったので夕食を食べながら、クレアとゆっくりとミーティングをすることにした。 そこでクレアの口をついて出てくるのはほぼ全て孤児院の理事長、ポン・セナへの不信不満ばかりだったんだけれど、その内容が必ずしもクレアが正しい訳ではないってところに今回の問題の根っこがある。
実は先日、ネーヤンという子供が一人心不全のような状態になって病院に担ぎ込まれたわけなんだけれど、その後ネーヤンが退院しても孤児院に戻らず『孤児院ではゆっくりと身体を休めることができないから』という理由でのクレアの提案で、ずっとクレアの家に泊まることになった。 そしてその彼の見舞いに行くという理由で、子供達が入れ替わり立ち代わりクレアの家に泊まりに行くということにもなった訳だけれど、その際クレアは子供達をバーやクラブに連れて入ったりもしていた。
それ自体も今に始まったことではなく、以前からそういうふうに子供達を『社会経験を積ませるため』という理由で遊びに連れて行っているのが問題になって、他のボランティアと少し軋轢が生まれていたこともあった。
確かに日本やオーストラリアのような西洋的な国では、ティーンエイジャーともなると親元を抜け出し夜な夜な盛り場に遊びにいくのが、まぁ極々当たり前の話だ。 僕も全く人のことを責めることが出来る立場には無い。 ただしその場合自分たちに何かトラブルがあった場合の責任は親がとらなくてはならない。 孤児院の場合だと理事長の責任だ。
夜遊びにいくことなど絶対に許さない頑固親父の理事長と、遊びに連れていってくれる歳の近いクレアとどちらのいうことを子供達が聞くかなんて、考えるまでもない話になることは言うまでもない。
もちろん世界中のどこの子どもだってある程度の年齢に達してくると、反抗期のような状態で何かと大人と意見が衝突したりするのだけれど、それを第三者としてなだめていくのが先生とか外部の者の役割でもある。 ところがクレアは子供達と一緒なって、というより僕の感覚では率先して理事長のダメな部分を子供達と言い合って、結果火に油を注ぐような形になってしまっていたと思う。
念の為に言っておくけれど、けっして理事長を始めとするフィフォンの家族が完璧だなんて言っているわけじゃない。 彼らは彼らで足りない部分はそりゃあもう本当にたくさんある。 でもそれは我々大人の世界の話であって、子供達を巻き込む話では断じて無い。
「彼らがずっと村中の孤児院に引きこもって、街を見なければ何時まで経っても自立できないわ」というのがクレアの意見。 それにはもちろん僕も同意するけれど、それは親である理事長の同意なく出来る話では絶対ないし、そもそも僕達が自国の文化や考え方を押し付けてしまうのはダメだというのが僕の意見だ。 カンボジアにはカンボジアの古いしきたりや慣習があるし、僕達は子供達のお手本ではあったとしても友人では無い。
子供達のコントロールをするのが殊の外難しくなってしまった上に、いつまでもクレアがそんな事を続けるのなら警察沙汰にする、という事を言い出した理事長に、今度はクレアの両親たちが反撃に出た。
『私たちにクレアに対してそのような態度に出るのなら、私たちからの寄付金による支援は一切ストップさせてもらいます!!』
孤児院の運営には、クレアの家族を含むオーストラリアから送られてくる月額約1000ドルの支援金がとっても大切だ。 クレアはそのことを充分に承知しているけれど、そのお金が正しく使われていないと思っている。 自分たちの1000ドルは全て子供達の食費に使い、孤児院のスタッフである理事長ファミリーは自分たちで稼いで生活をするべきだ、というのがベースにある考え方なので、とにかく自分たちのお金が何に使われているのかを非常に気にしている。
でも実際問題1000ドルではとても孤児院の運営に足りる金額ではないし、残念ながら僕が毎月マイクロクレジットで捻出している約1500ドルを足しても、まだ足りないのが事実だ。 それを理事長家族がピンはねしているかどうかなんかどうでもいい話であって(っていうかピンはねなんかしていたら孤児院の運営自体が既に破綻している)、僕達外部の人間は運営主体を信じてサポートをしていればいいんじゃないんだろうか?
それをよりにもよって、言うことを聞かなければ支援金を打ち切るっていうのは『味噌もクソも一緒にする』という行為に他ならないばかりか、単なる脅し以外の何ものでもない最悪な行為だ。 そんなもんサポーターでもなんでもなくて、体のいい乗っ取り行為という風に取られても致し方がない。
金の力を使う場所を完璧に間違っている。 いや、もしかしたらそういう使い方が一番威力もあって正しいのかも知れないが、僕的には大嫌いな金の力の使い方だ。
支援金や寄付金はもちろんありがたいし大切だけれど、それに振り回されない独立した運営が出来るようにするためにも、孤児院が完全に経済的に自立できるだけの稼ぎが出せるビジネスをしなければならない。 そうすればこういった問題が一つづつ解決されていくはずだから。
僕の思うカッコイイ金の使い方をするためにも、これからもますます力を入れて稼げるビジネスを創っていきたいと改めて心に誓った。
(関連記事)
・寄付の限界と問題点
http://hugs-int.com/kengo/archives/1190
・ちょっと真面目な話
http://hugs-int.com/kengo/archives/1191
・フィフォン半泣き
http://hugs-int.com/kengo/archives/1194
「カンボジア」カテゴリーアーカイブ
ポル・ポト派最後の砦
これからのHUGSの展開に備えて優良で広大な農地を探していたところ、顧問弁護士からの情報でシェムリアップから150キロ程離れてタイの国境の方に行った街に、かなりの農地を余らせている人々がいるので行ってみないかと誘われました。
タイの国境と言えば、僕はポイペトといういつもバンコクに行く時に通る街しか知らないから、てっきりそっち方面に向かうものとばかり思っていたら、今回は全くポイペトとは違う場所でオッドーミンチェイという州にあるアンロン・ヴェンという街だった。実はそこに到着するまで全く知らなかったんだけれど、このアンロン・ヴェンという場所はポル・ポト派最後の拠点となっていた場所で、ポル・ポト自身もここで息を引き取りその墓もあるっていうところだった。
今回僕達を案内してくれた人も元クメール・ルージュの党員。なんでも1993年UNTAC主導のカンボジア民主選挙でクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が勝っていたら、自分がコンポン・トム州の知事になるはずだったって言ってるけれど、そもそもその時の選挙をクメール・ルージュはボイコットしてるわけだから、真意の程は誰にもわからない(笑) でもまぁそんなことはさておき、元クメール・ルージュの人々はとっても素朴で正直な人が多いらしい。(もちろんそれも真意の程はわからんが(笑))
しかしいつものことながら感じるのは、カンボジアが貧しいと言う言葉がどうしても適切ではないってことだ。確かに世界的な基準である経済の観念からすると、金を持っていないんだから貧しいということになる。でもこんなに広大な農地を余らせているにも関わらず食うに困らず、昼間からハンモックに揺られてゆらゆらと昼寝している人多数。なんだかんだと言って豊富な山の幸、トンレサップ湖の魚などに恵まれていて、いつも食材は新鮮だ。朝から晩まで、時には働きすぎて過労死したりする割には、金がなければ食う事自体にも困ってしまったりする日本人と、金はないけど適当にしていれば適当に食っていけるカンボジア人。
本当に貧しのはどっちなんだろう・・・
干ばつなどで努力しても何も出来ないような土地とは違い、放っておけばいくらでも草木が生えてしまいにはジャングルになってしまうくらい豊かな土地だ(笑) 実際にここも元々はジャングルだったんだけれど、軍人たちが伐採して全部金に変えてしまった。 ちなみにバブル当時日本人が喜んで買いあさった高級木材の出処は、案外こんなトコロだったりしている。。。
街の中心部からポル・ポトの墓所方面に向かうとタイとの国境になる。この柵を隔てた向こう側にはタイ語で書かれた標識が見える。
昨年世間を騒がせた赤シャツ派の親玉タクシンがタイの首相だったときはカンボジアのフンセン首相と仲が良かったので、どんどんと両国間の交流を深めていっていたんだけれど、反タクシン派の現首相になってからその計画の大部分は無期限延期状態。タイ側の電気の送電線も国境でぶった切られている(笑)
人間は自由に行き来できないこの国境を、写真の犬は当たり前に自由に出入りしていた。この国境を自由に通行できない生き物は地球上で人間だけだよね。いつも思うことは、犬でも猫でも自由に行き来できるような(日本の場合なら魚でも鳥でもだけどw)国境のために、人間が命をかけたりするような意味は絶対にないってことなんだけどねぇ・・・
さて、国境近くの市場はこんな感じ。西部劇に出てきそうな雰囲気です(笑)
このすく近所に巨大カジノ(タイ人向け)を建築中だっていうんだから商魂逞しいっていうか、やっぱギャンブルって儲かるビジネスなんだろう。日本も早くカジノを合法化すりゃあいいんだけれど、きっとそうなったときには時すでに遅すぎるんだろうな・・・
こちらはポル・ポトの墓所がある場所。
僕達の知っているポル・ポト像は『世界屈指の虐殺王』って感じだけれど、実際に彼と接していた元クメール・ルージュ党員の人々にとっては違うようだ。
一番最初に逮捕されたポル・ポト派最高幹部の一人だった、タ・モクの自宅前に置いてある移動式ラジオ放送局。
この放送局が実際に使われていた時代に思いを馳せてみたりしながら、「当時、我々外国人がここに来ることが出来ただろうか?」と質問してみると、もちろん無理だっただろうという返答だった。ただ時代とそこにいる人々の考え方が違うだけで、安全な美しい場所にも危険で死と隣り合わせの場所にもなる。
うーん、なんだから色々と考えさせられた一日でした。
孤児院の問題様々
カンボジアの子供達の瞳がキラキラしていて素敵だった、なんていうような話をしている人をよく見かける。 まぁ確かにやつらの瞳はキラキラしているが、たいてい子供なんてよく見てみれば世界中どこの子供だってみんな瞳が輝いているはずだ(笑)
で、この数日そのキラキラ瞳が輝いている子供達の住む孤児院の色々な問題などで、かなりの時間を費やさされていた。
基本的に余り泥臭い話には首を突っ込みたくないので、孤児院に毎日行ってどっぷりと運営にはまり込むような真似は極力避けてはいるのだけれど、なんだかんだとトラブルやイベント事があるたびに必ず呼び出されるハメになる。
今回はクレアから大至急孤児院に来て欲しいと呼び出され、その直後にクレアのことを心配したオーストラリアにいるクレアの親父からもすぐに孤児院に行ってくれないかと電話がかかってきたので、行かないわけにはならなくなった。
なんのことかと駆けつけてみると、要は孤児院を出て行きたいという子供達が謀反を起こしていた。。。
孤児院を出ていってどうするんだという人に少し説明しておくと、うちには全く身寄りが居ない子から片親が近くに住んでいる子まで様々いる。 その中でも身寄りが孤児院の近くに住んでいる子供達は、ちょいちょい自転車に乗って会いに行って、ちょっとした小遣いをもらって帰ってきたりしている。
たまに会いに来ればもちろんカワイイわけで、身寄りの人も優しく接するは小遣いはくれるはで、子供達にとってはいつも『勉強しろ』とか『朝早く起きろ』とかガミガミと怒鳴りつけられる理事長よりも優しくて素晴らしい人ってことになる。
挙句の果てには『理事長は自分のお父さんや親族ではないから自分に厳しく接するんだ』という理論に突き当たったってわけ。 だって本当に優しい人なら親族じゃなくったってクレアみたいに自分に甘く優しくしてくれるはずだから・・・
子供達と友達になってしまっているクレアにも若干の問題点があるんだけれど、これについてはまた後日にでも書こうと思う。
もちろん理事長を始めとする運営者の家族がみんな完璧だとは口が避けても言うつもりはない。 酒を飲んで機嫌が悪い時もあれば、夫婦で殴り合いの喧嘩になったこともある。 勉強に関しては子供達もかなり強制的にさせられる。 子供の世界観ではそんなロクでもない人物はこの世に理事長だた一人しか居ないってことになるんだろう。
言いたいことを全部言わせたほうがいいだろうと思って、子供達50余名を集めてミーティングをしたんだけれど、実際に大きな不満を持っている子は約数名。 『お前たち今の自分がどんなに恵まれているか分かってないんだ』という話をしてみたけれど、勉強したくない怒られたくない出ていきたいという気持ちには変りがないようなので、親族に引取りに来てもらうことにした。
実際問題、親元で生活している普通の家の子供達が12歳やそこらから働き出して、英語なんか全く話せない状況だったりするのに、うちの子供達は英語は当たり前に話せるし、働かずに勉強に遊びに専念できるし、はっきり言って村の子供達よりよっぽどきれいな格好をしている。
翌日なんのこっちゃよくわからずに孤児院に呼び出された親族たちを交え、もう一度子供達を説得することにした。 理由はただひとつ。 今勉強をヤメて親族の元に行くということは、彼らにとって将来の可能性がゼロとは決して言わないが、とてつもなく小さくなってしまうから。
親族も自分のところに来られたって面倒をみることも出来ないし、勉強を続けて欲しいしで必死になって説得していたけれど、それも結局実ることはなく、5名が孤児院での生活に別れを告げる事になった。
そもそも誰も面倒をみることが出来なかったから孤児院で生活することになったのに、もちろん親族の収入が増えたとかで引き取りたいって話なら一番いいんだけれど、それを望んでいないというか望めない生活環境の親族の家に無理やり引きとってもらったところで、何らかの問題が解決されるとは到底思えないんだけれど、まぁこれも彼ら自身の人生、僕にはどうすることも出来ないし仕方がない。
うちの子供達には、前回日本に招待されたことによって、自分たちも努力をすればあんなふうに海外旅行に言ったり、楽しい思いができる可能性があるということを身を持って体験させることが出来たと思ってる。だから今度はその反対を体験させなければ、彼らはいつまでも自分が『恵まれていない可哀相な存在だ』という思いから抜け出せないということが今回のことではっきりと分かった。人間は恵まれた環境の中にいるときにはその事に気がつくことが出来ない。 だからこそ広い視野で客観的に自分の状況を知ることが本当に大切だと思う。
これはもちろん僕自身を含む多くの日本人にも言えることなんだけれど。
次のテーマは自分たちを『可哀相な存在』から『恵まれた存在』へと認識の変化をさせること。 そして恵まれた存在だからこそやるべきことがある、頑張る必要があるということをしっかりと教えたいと思う。 そのためにも寄付に頼った運営をいち早く抜け出させたい。
あぁ、その前に『可哀相なカンボジアの孤児』に会いに来る外国の人々もなんとかしなきゃいけないな・・・