カンボジア文化第2弾として、今回はクメール語(カンボジア語)について書こうと思う。
実はクメール語を学ぶつもりは全然無かった(笑) カンボジアに住んでいるにも関わらずなんでそんなことを、と思うかも知れないが、僕が付き合いしている連中の殆んどが上手く英語を話すし、いつもダラやフィフォン達が通訳してくれるから特に不便も感じていなかった。
ところがやっぱりお互いに英語で会話をしている分には問題ないが、通訳をしてもらうということになってくると、英語は互いの第2外国語であるってことから、英語を理解しないカンボジアの人々にどれだけ正確に僕の言いたいニュアンスが伝わっているのかが、かなり微妙だということが分かってきた。
さらに言うと、会議などをした場合みんながクメール語で喧々諤々とやり出してしまうと、僕だけ完全に蚊帳の外。 いったい何が起こっているのかサッパリわからないままに、ある程度まとまったらしき話をいきなりふられて、それに対して僕の意見を言うと、またしても僕以外の連中で喧々諤々とやり出してしまう。
常にブラックボックスから飛び出してくる情報のみを手探りしながら、意見をまとめていくという作業を強いられている。これがある程度でもクメールが理解できたなら、もっと途中で自分の見解などを差し込むこともできるし、意見がまとまっていく行程をもっと理解することも出来るようになるはず。
カンボジアで生活してりゃそのうち勝手に話せるようになるかな、とも若干思ってもいたんだけれど、やっぱりどうやら勉強して使わなければ身につかないということに遅ればせながら気がついた(笑)
英語を聞き流せば話せるようになるとかいう勉強法があるけど、あんなもん絶対に嘘だね。 クメール語は毎日いやというほど聞き流してきたけれど、聞き流しているうちは雑音でしか無いんだから(笑)
そんなわけで色々なカンボジアの諸先輩方々にクメール語の勉強方法を聞いてみたところ、やっぱりあの象形文字のような文字の勉強は避けて通れない道らしい・・・ クメール文字ってのはこんなこんな感じの文字だ。
えーと、上から「シェムリアップ」ってのを2回と、「キタウラ ケンゴ」と書いてある。
ってな訳で最近クメール文字と言葉を勉強し始めたわけなのだが、ここにもかなり日本語との共通点を見出すことが出来るので、そんな事を少し書いてみよう。
まずクメール語のルーツはサンスクリット語だそうだ。 日本では仏教と密接に関わりが深い言語なので、例えば”僧”、”盂蘭盆”、”卒塔婆”、”南無阿弥陀仏”などはサンスクリット語をそのまま漢字に当てはめただけだ。
そう言えば以前、スリランカ人(というか仏教徒なのでシンハラ人)の友人と一緒に京都の三十三間堂に行ったことがあったけれど、その時も阿修羅などの神様の名前は全く一緒だったのを覚えている。 最近流行りらしい般若心経なんてのも、サンスクリット語を漢字に当てはめたものだから、そのシンハラ人の友人も普通に般若心経を唱えることが出来て驚いた。
日本語は「あいうえお」という5つの母音と、「さたなはまやらわ」行の子音をそれぞれ組み合わせることによって発音する。 で、これもサンスクリット語の母音と子音の組み合わせをかなり簡略化することによって出来ているようだ。
もっとこのサンスクリット語の源流に近いクメール語は、発音が更に複雑で母音が20個以上ある・・・ ア、アィ、アー、ウ、ウー、エ・・・ってな感じで、とてもカタカナでは表記出来ない、アとウの中間音とか色々ややこしいことになっている(笑)
ただ子音の種類というか順番はほぼ日本語と同じなので、ひと通りぐにゃぐにゃした文字の並びを頭に叩き込めば、文字の構成を理解すること自体はそんなに難しくはない。 理解すること自体は、だけれども。
単純に発音の組み合わせだけでも日本語の50音に比べ70音以上存在しているらしく、いくら聞いても全然違いがわからない音がいくつもある。 『トー、トー、トー、トー、ノー』の、この『トー』4つはそれぞれ同じ行に並ぶ違う音なんだけれど、これ以上カタカナで表記するのは不可能だし、僕の耳にもいまいち違いが聞き取れない。
『トー』って発音すると『違う!何度言えばわかるんだよ。トーだって!!』と言われて苦しめられてるんだけど、こうやって文章に書くと何のことやらサッパリわからないよね:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
ちなみに日本の煙管(キセル)の語源はクメール語だ。 こっちでは「クシェー」ってな感じの発音になるけれど。 その他にも「見る」が「ムール」、「虎」は「クラー」、「扉」が「トゥビア」、「噛む」なんてのはそのまま「カム」だ。