上海弾丸日帰りツアー

ものすごいヤボ用で上海に行ってきました。 前回日本に帰国する際に上海のトランジットタイムを利用して用事を完了させていたはずだったのに、後日連絡があってもう一度来てくれという事を言われた・・・
(参照記事)
無理やりトランジット
http://hugs-int.com/kengo/archives/1173

12月中に行かなければ前回の手続きが無効になって、また2回上海に行くか1週間以上滞在するかという選択肢を迫られたため、やむなく月内に上海に行くことにしたのだけれど、今月の予定を考えてみると7日に出発して9日にカンボジアに帰ってくるというスケジュールしか取れそうにない。 さっそく航空券の手配をしてみると、これまたタイムスケジュールがかなり過酷だった。

シェムリアップ⇒プノンペン バスで6時間 7日15時出発
プノンペン⇒上海 飛行機で3時間半 7日23時50分発
上海到着 8日午前4時半・・・
上海⇒プノンペン 8日19時50分
プノンペン着 8日23時

上海滞在時間15時間の強行スケジュールとなってしまった。 実はこれ、9日からジローがこちらに来るってことだったので、その予定に合わせたはずだったのだか、よくよく聞いてみると彼のスケジュールは9日の夜中羽田発でマレーシアのKLに1泊してから来るとのことで、実際のところは11日到着だった。

それを聞いてから航空券の日程を変更しようとしたが後の祭り・・・ まぁ仕方ない(笑)

さて、今年3度目の中国はやっぱり中国だった。

飛行機の中では日本人だというだけで全員から白い目で見られ、ひそひそ話で悪口を言われ、入国管理では「何しに来たんだ?」と根掘り葉掘り聞かれ、挙句の果てに床につばを吐かれた。

街に出るとそこらじゅうに「鬼畜日本許すまじ」とか「欲しがりません勝つまでは」と書いた旗が掲げられ、竹槍を持った中国人が日本人を突き殺す練習をしている。

街中の日本関連の商店の売り場の窓という窓は全て割られており、至る所で日本の国旗が燃やされていた・・・

なんて言うようなことは全くない(笑)

飛行機では僕を中国人と間違えて中国語で話しかけないように『J』という印を航空券に付けて対応してくれていたし、入国管理の職員は朝の4時過ぎにも関わらず笑顔で親切な対応だ。前回日本にカンボジアの子供たちを連れて行ったときの、入国管理の職員の嫌そうで不親切な対応とはエライ違いだ。待ち合わせまで時間があったので、休憩がてらに入って空港施設内のマッサージのおやじのテクニックも相当なものだった。

その後待ち合わせ場所のマクドナルドでテーブルの上に電話を置いてウツラウツラしていると、店員が僕を起こして「電話をこんなところに置いていると危ないから、ちゃんとポケットにしまってください」と注意してくれる。その後、頼まれものをしていたので上海のユニクロに行ったのだけれど、そこの店員も僕が英語しかわからないと知ると、すぐに英語対応の係員を探して連れてきてくれた。
Shanghai 1208 004

絶対に日本に来ている中国人に対する日本人の態度より、中国を訪れている日本人に対する中国人の対応のほうがいいんじゃないかと思う。

確かに日本(アンコールワットでも)に来る中国人は大勢で行動し、やかましくて鬱陶しいと感じる時があるのは充分に理解出来る。 でもそんなもんバブルの頃の吉幾三みたいな人が大量にいるんだから仕方無いじゃないか。 自分たち日本人が20年ほど前にやっていたことを、今の彼らがやっているだけなんだから、もっと暖かい気持ちで接した方がお互いに楽しいのになんて思っている。

そんな感じで南京東路でモロモロの買い物を済ませた。
Shanghai 1208 008

こういう往年の建物はカッコいいね〜。 どんなに維持コストがかかってもこういう趣のある建物を残してほしいよね。
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その後、ちょうど2階建ての乗合観光バスが目に入ったのでそれに乗ってみることにした。 最初景色もいいし、嬉しがってこの最後列に乗っていたんだけれど、走り出したら寒すぎて前に移動した(笑)Shanghai 1208 013

僕的にはこういうのがちょっと前までの上海などのイメージだったんだけどな~ ちなみにつながれて散歩させられているのは犬ではなく鶏(笑)
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その後豫園に行ってお土産物を購入し、小龍包をガッツイてから空港に戻るとちょうどいい具合の時間になったので、滞在時間が短かった割には思いの外充実した楽しみ方が出来た。 ただし前日からどこにもゆっくりを腰を落ち着けていないので思いっきり疲れたけれど。。。

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フィフォン物語

さて、今日はカンボジアの文化を知るに当たって、今僕が付き合いをしているフィフォンとダラのこれまでの人生を簡単に振り返ってみよう。

まずはフィフォン。現在彼は27歳、パンという名の『ある方面限定』で有名な兄貴がいる(笑)

実はもう一人パンとの間に兄貴がいたんだけれど、数年前に自殺したそうだ。カンボジアで自殺なんてあまり聞かないけれど、元軍人の親父ポン・セナの躾のあまりの厳しさに元々心の弱かった兄貴がとうとう根を上げて自殺してしまったそうだ。

そのフィフォンの親父ポン・セナ(孤児院の理事長)は政府軍の軍人だった。かなり地位の高い人だったらしく現役当時は2000人以上の部隊を率いていたらしい。現役当時はカンボジアの軍人おなじみの高級木材の不法伐採(というか戦時中なので法律なんて無かったw)でかなり裕福な生活をしていたんだけれど、戦争も終わりポン・セナの所属していたフンシンペック党が野党に下野してからは、冷や飯を食わされて一気に貧しくなった。

さらに悪かったのはポン・セナがシェムリアップの州知事戦にフンシンペック党で立候補し、ほぼ全財産を掛けて闘いに挑んだけれど負けてしまったことだ。何をするにも金がかかるが、金をかけたからと言ってうまくいくとは限らない、これがカンボジアの一面にある現実だ。そして彼らはこれで農地すらも失ってしまうことになる。

実はカンボジアが世界の貧しい国の代表のように言われているけれど、農村部に住む土地を持っている人は少なくとも食う分には困らない。もちろんいいものを食べているわけではないけれど、金が無いだけで米はあるし、森の中に入れば様々な動物たちもいる。昔の日本の農民みたいなものだ。

ところがフィフォンの家はその農地すらなくなった。おかげで彼らは近隣の家の田んぼの手伝いをしに方々を練り歩く、貧困農村の中でも最下層の貧乏家族になってしまった。

この当時銀行なんてものは金持ち相手のものしか無く、農村の土地を持たない家族に金なんか貸してくれるはずも無く(ここにマイクロクレジットの必要性があるのだが)、ポン・セナは村人たちから月利7%(日本の頼母子講のようなもの)という高利で借金をして養豚業を始めた傍ら、絶対に子供には教育が必要だと言って譲らずフィフォンを学校に通わせ続けた。

うちの孤児院に行ったことがある人ならわかると思うけれど、フィフォンはあの赤土の凸凹道8キロを毎日自転車で片道1時間掛けてシェムリアップの街まで学校に通い、それが終わるとお母さんと亡くなった兄貴と一緒に野良仕事、豚の世話、夜は近所の池に魚を取りに行ったりするという日々の暮らしだった。

その他にも自転車でリアカーを引っ張ってアイスクリームを売る仕事もしたことがあるらしい。さすがに身体が持たなくて3ヶ月でヤメたらしいが。

そんなフィフォンに救いだったのは、本人自身勉強が好きだったことだろう。現在はフィフォンとダラに日本語を習いに行かせているが、フィフォンの勉強の仕方は明らかに優等生のそれだ。帰って来たら、いの一番に宿題をやる。暇になったら本を片手にあーだこーだと質問してくる。

勉強好きのフィフォンは学校でもピカイチの秀才君だったようだ。もちろん10年近く前の農村の中に英語を話せるやつなど他にいなかったから、彼がパゴダ(寺院)の中で村人の子供たちに英語を教え、その延長線上で今の孤児院兼無料英語学校が出来ることになったわけだ。

この間にポン・セナの努力も実って借金を返し終わり、養豚も順調に流れに乗って拡大していたのだが、孤児院の運営費用が思いの外かかりまたまた豚の数がドンドンと減っていくことになる。

現実的に今も孤児院の運営費用はマイナスだ。それをカバーするためにマイクロクレジットを一緒に立ち上げているんだけれど、その収益を足しても今のところプラスに成るまでは持って行けていない。引き続き養殖池やその他の事業プランを一緒に推し進めたいと思っている。

と、まぁこんな感じで彼は現在孤児院のディレクターとして外国人との折衝を全て引き受けながら、僕と一緒に自分の力で豊かになりたいと日々がんばっている。

カンボジアを貧しく可哀相な人々が暮らしている助けてあげなくてはならない国だと捉えるのか、こんな時代を乗り越えて必死で勉強してきたやつがゴロゴロしている成長の可能性が高い国と捉えるのかによって、大きな違いがあることだけは確かだろう。

学校で先生がげんこつで頭をコツいただけで新聞沙汰になったりしているどこかの国の子供たちと、こんなふうに働きながらも貪欲に学んできた子供たちが、将来必ず競い合わなくてはならない日が来る。それを避けるために鎖国政策を取るに近いような馬鹿な発言をしている人々が日本に沢山いるけれど、本当にそれでいいのだろうか?

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カンボジア人はグルメだ

東南アジアの人々というと、東アジアに住む我々よりも肌の色が浅黒いというイメージが強い。ところが彼らはどうにもそれが嫌らしく、ここカンボジアの女性も肌が白いほうが断然モテる

僕は全く肌の色とか人種が気にならないタイプだから「あの子カワイイよね」とか言ったりするんだけれど、こっちのやつに「いや、肌が黒いからダメだ」と却下される(笑) 「日本ではワザワザ金を払って肌を焼いている女の子がいるんだよ」って言ってやると、全く理解不能だという顔をしていた。

ちなみにこちらでモテるタイプ(特に遊ぶ程度のお金のある年配層に)ってのは、色白でちょっと肉付きが良いタイプの女の子らしく、カラオケクラブなどに遊びにいくとそんな女の子たちが、元々日本人がまつげのエクステを付けたくらい長くて濃いまつげにびっちりとマスカラをつけて、濃い顔にアイメークもバッチリって感じで勢揃いしていてる。

僕には理解出来ないタイプばかりだと言っておこう(笑)

さて、文化を紹介するといえばやはり忘れてはならないのが食事についてだろう。シェムリアップは観光地だけあって外国人であっても食事をする場所には事欠かない。日中韓国料理にイタリアン、フレンチ、メキシカンなどひと通り揃っている。珍しいところではスイス人がやってるチーズフォンデュなんてのもある。

日本にいた時から食べ物に関してはかなり保守的で、まず知らないレストランに飛び込みで入るなんてことは無かったような僕だから、カンボジアに来ていきなりクメール料理をガツガツ食べるなんてことはもちろん無く、これまではだいだいいつも西洋料理系のレストランで食事を済ませていた。

ところがやっぱり毎日『大して美味くない西洋料理』ばかり食べていても飽きてくるし、どうしてもローカルレストランに出かける機会が多くなってくると、やはり地元では地元の料理を食べるのが一番美味いということに気がついた。タイなどの料理は辛いというイメージが強いけれど、カンボジアの料理は全体的に甘めの味付けになっているものが多い。辛い料理が苦手な僕にはモッテコイだ♪ しかも中国人ほどでは無いにせよ、カンボジア人も食えるものなら何でも食う。だから食材がとっても豊富だ。

バッタ、コオロギ、でかいクモに蛇にワニにと、まぁおもしろ食材を取り上げればキリが無いんだけれど、こんなのを除外したとしても、割に野菜も多くなんの葉っぱか知らないけれど結構美味しいものがたくさんだ。しかもみんな結構グルメで、タイ産のブロイラーの鶏なんかはまずくて絶対に食べないっていう人もかなりいる。そもそも冷蔵庫なんて無い家庭が多いから食材の買い置きもないし、ある意味いつも新鮮食材のみを使って料理をしている。

以前アッキーがこっちに来て鶏をさばいて焼き鳥にした時も、今まで食べた中で一番美味しい砂ずりを食べることになったし、やはり食材自体のポテンシャルが料理に占める割合は高いんだろうな。
(参照記事)
『超』新鮮 地鶏の焼き鳥
ttp://hugs-int.com/kengo/archives/1200
ちなみに「プロホック」っていうとんでもない匂いを撒き散らす調味料がクメール料理には欠かせない、らしい。 日本料理で言うところの味噌ってところだろうか? 高級なものになるとかなりいい値段がするらしいのだか、今のところ僕にはいったい何のためにそれを料理に付けて食うのか全くわからない(笑)
何人かの証言を合わせると「これは日本のくさや汁と同じ匂いがする」ってことらしい。 僕、日本でくさやって食べたこと無いんだけれど、きっとそれも中々ハードな香りがするんだろうな~

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