農業のIT化

僕は常日頃からITは途上国にこそ必要なツールだと思っている。例えば僕はインターネットで今のように自由にみんなとやり取りすることが出来なければ、きっとカンボジアに住むという決断は出来なかったと思う。

ずっと昔、もう30年近く昔の話になるけれど僕がアメリカに渡った当時、日本で付き合っていた彼女がいた。お互いにやり取りできるのは「Air mail」という国際郵便による文通のみだった。もちろん国際電話はあったけれど、親の仕送りでホームステイさせてもらっている高校生の僕には、そんな高価な手段はもちろん使えない。手紙を書いてポストに投函して相手に届くまでに概ね1週間。そこから返事を書いてもらうのに数日要して、さらに相手がポストに投函してから僕の手許に届くまでまた1週間。一度のやり取りに2週間以上の時間を要する文通での「超長距離恋愛」は、3度目くらいの手紙に「好きな人が出来ました、ごめんなさい」と書かれていて敢え無く終わりを迎えた。

それが今やアメリカや日本のような先端先進国どころか僕が住むカンボジアのような後発発展途上国ですら、インターネットを通してあらゆる人々の日々の動向をリアルタイムで知ることが出来て、いつでも無料で意思疎通が出来る環境が整っている。カンボジアに居ながらにして世界最先端の技術や考え方に触れることも出来る。物理的な距離による情報格差を潰したインターネットが最も大きな恩恵をもたらせたのは、物理的に情報の中心地に出向くことが出来ない途上国に住む人々にだろう。

もう一つの側面は、教育格差をITで潰すことが出来るということだ。残念ながら途上国の、しかも地方に住む人々の教育水準は著しく低い。言語の問題では無いレベルで意思疎通が出来ないことが度々起きるのは、最低限知識として知っていることのレベルがあまりにも違うからだ。割り算の概念が理解できない人に割合の話をしても全く咬み合わない。ましてやそれを自分で計算して導き出すように、と指示したところで出来るわけもない。ならば予めそのような計算式を組み込んだプログラムを用意して、必要に応じてボタンを押せば勝手に答えが出るようにしておけばよいだけの話だ。それが可能になるのも、やはりITの進化による恩恵だと僕は思う。

このようにITが情報と教育の大きな格差を潰すことによって、大きなベネフィットを生み出すことが出来ると考えるならば、世界で最も情報と教育から離れた場所にいる人々にこそITを積極的に導入すべきだろう。僕はその『世界で最も情報と教育から離れた場所にいる人々』とは、カンボジアのような途上国の中でもさらに都心部の発展からは大きく取り残された農家の人々だと思っている。そしてそこで実際に農業を営む僕たちは、これからカンボジア農業、果ては途上国農業のIT化に先進国日本人の意地にかけて挑戦していきたいと考えている。

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ザ・長距離移動

ふと気がつけばもう9月も終わりに近づいていて、あまりの時間が経つ速さに恐れおののいている今日このごろですw

なんでこんなに時間が経つのが早く感じるのか、とよくよく考えてみると、どうやら移動に取られている時間が異様に多いからなのでは無いかという結論に達しつつ有ります。そもそも公共交通インフラが皆無なカンボジアでは主要都市間を飛行機でひとっ飛びする以外はバスや車での陸路移動に限られているのですが、それも「高速道路が存在しない」ため、なにかと大変で時間も掛かります。特に僕のように農場に入っていかなくてはならない場合、バスや車をチャーターして農場近辺まで行ってもそこから先に入っていく手段が無いため、絶対に自力で4駆の車を運転してくしかない、という極めて選択肢が無い状況に必然的に追い込まれてしまいます。

で、まぁちょっと思い出してみるだけでもこの10日間で。。。

シエムリアプーバンコク陸路往復約900キロ(うち国境まで自走300キロ)。これは飛行機で行けば良いのですが、3名がバンコクに用事があったため経費削減のため陸路移動を選択したのですが、片道さっくりと6時間の行程です。

シエムリアプープノンペン約360キロ。日本の高速道路なら僕の場合2時間半くらいで行けるような気がしないでもない距離感なのですが、カンボジアの道路事情では4時間は掛かります。(下記カンボジアの交通事情を参照w)
http://blog.livedoor.jp/jcod/archives/51398531.html

翌日プノンペンーケップ約170キロ。途中からは「未舗装のダートロード水たまり付き仕様」が待ち構えていたので、約3時間。

さらに翌日、朝からケップ名物カニを気持ち悪くなるくらいの量を食べてから、一路この2日間掛けてやって来たケップーシエムリアプ約530キロを走り抜けます。カンボジアの道路は全く街灯が無く、夜になると真っ暗闇の上に突然道路が陥没していたり、無灯火のバイクや車、さらには犬や牛が飛び出してきたりと、日没以降の運転は困難を極めるどころかリスクが急上昇するので、夜間移動という選択肢もこれまた無しなのです。だからどうしても時間の制約がありオチオチゆっくりと休みながら移動なんて優雅なことはやってられません。こちらは途中のガソリン給油と昼飯休憩のみで8時間掛けてシエムリアプにたどり着きました。

そしてさらに一日間を空けて、今度はシエムリアプーパイリン往復約480キロ+農場内の「超悪路」40キロを日帰り強行日程です。前述のように日没後に運転する選択肢は無いことから遅くても19時にはパイリンでの全てのミッションを完了してシエムリアプに到着している必要があります。なので途中休憩は一切なしで往復走りきりましたw

ってなわけで、10日間で約2500キロを下道移動しているわけだから、そりゃあ時間が経つのが早く感じでも仕方ないよねって話ですよね。なんというか、えらく時間が掛かってる割に非常に生産性の低いこの作業、早く鉄道網でも整備して本当に何とかしてほしいものですが、これも途上国に住むという現実のひとつでもあるということですね。

そしてもう一つ、公共交通が無いということは常に車に乗っているので全く歩く機会が無くなります。しかも大きなショッピングモールとか商店街とかが無いカンボジアでは、ブラブラと街を歩いて流すこともあり得ません。この運動不足を解消するために僕はジムに通ってトレーナーを付けて運動しているのですが、このトレーナーがドSなため、僕が長距離移動でヘトヘトになっている翌日も「そういう疲れは運動すればとれる」という、まるで日本帝国陸軍のような精神論でみっちりとシゴイてくれます。そんなわけで、最近は一体何を目指している人なのかよくわからないような日々を送っているのですが、体力だけは2−30代の頃よりもアップしている様な気がします(笑)

あぁ、ヘリコプター買いたい。。。

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3泊4日の洗脳体験

北朝鮮(ちなみに現地の人々は自国のことを「共和国」と呼んでいる)で出会った人々は、ガイドのお二人やドライバーの人をはじめ、レストランや土産物屋その他あちこちで触れ合った人たち全て、非常に気が利いてとても親切で、なんというか節度のある素敵な人々でした。平壌の街は素晴らしく清潔で美しく、あちこちに効果的に公園や森が配置されています。IMG_1680 IMG_2974 IMG_2971

多くの人々は非常に安く利用出来る(5円程度)バスや地下鉄、路面電車などの公共交通機関を利用し、とても質素ではあるけれど僕が今まで見てきたような途上国(貧困国)の人々とは全く一線を画す生活ぶりです。IMG_2869 IMG_2887 IMG_2997

そういった意味で北朝鮮は、街も人々も暮らし向きも多くの日本人が想像しているような国ではありません。どちらかというと想像以上に素晴らしく、下記のようなシステムを聞いている限りでは、ある意味理想を追求していると言っても過言ではありません。

学校教育は12年間の義務教育が全て無料
その教育期間中、全ての人々になんらかのスペシャリティー(アクロバットや楽器、語学や芸術など)を卒業するまでずっと徹底的に教えこむ
無税
病院などの治療は全て無料
住宅費も無料

実際に、このスペシャリティーを教えるという教育が素晴らしく機能しているのは、サーカスやショーを見たり、建築物や工芸品などの見学をしたりするとよくわかります。そして、多くの人びとの細かい気遣いや街の清潔さなども、ある一定以上の道徳教育がなされているからこと出来ることでしょう。IMG_2969IMG_1691 IMG_1689

しかし、です。。。それとは反対に、彼らの歴史に関しての事実認識などは、僕たちの知っている「それ」とは全く違ったストーリーが展開されています。はっきり言ってトンデモ認定ド真ん中な歴史認識です。例えば平壌は5000年!の歴史を誇っていて、古くは中国大陸までをも支配していた、とかを真顔で切々と語ってきます。朝鮮戦争では1953年7月27日にアメリカ軍を降伏させた、と「がっくりとうなだれた米軍将校の写真」や「白旗を上げている米軍の車両」の写真とともに誇り高く説明してくれます。

なぬっ?平壌が5000年前??中国ですら4000年の歴史とか言ってたよな。エジプト文明って何年くらい前だったけ?3000年前?エルサレムの歴史も確かそんなくらいだったよな?・・・なんて思っても、調べる手立てがここにはありません。

朝鮮戦争において、世界で初めて「破廉恥なアメリカ帝国主義の高慢な鼻をへし折って」その強大性の神話を打ち破った、とか言われても、そんなわけ無いやんww あれっ?でもじゃぁなんで朝鮮戦争は終わったんだろう?あの白旗を上げた車に乗って米軍将校が38度線までやってきて、北朝鮮政府と停戦協定をしたのは一体どういう事実だったんだろう?・・・なんて疑問を持っても、ここにはインターネットも検閲を受けていない本も存在しません。

彼らに詳しく聞けば聞くほど、トンデモな内容の回答とおかしな証拠が出てきて、余計に深みにハマる一方なのです。例えばこんな写真とか。。。IMG_1698
これは朝鮮戦争で勇敢に闘う北朝鮮兵たちの写真ですが、構図からしても写真の陰影からしてもフォトショップ系加工でのでっち上げ丸わかりですw

そんなこんなで僕は色々な疑問がありすぎて、しかもそれを一切調べたり反証したりする手立てが無くて、頭のなかがグルグルになって眠れなくなりました。

僕は常に出来る限り両極端に反対の見解を調べて自分なりの正解を探し、バランスをとるように心がけています。ですから、今回北朝鮮に来たことによって、日々自分たちが知らされていること、刷り込まれていることと現実の大きな違いを目にしたり体験したりすることが出来たのは、非常に大きな収穫だったと思います。でも、あの国の中にいる間は、そのバランスを取る、ということが全く出来ないのです。これは本当に危ないです。超ヤヴァイです。たった3日間だったから良かったようなものの、これが1年続いたら調べることを諦めてしまって、人間が変わってしまう自信がたっぷり有ります。

それを北朝鮮の人達は生まれた時から今現在も、あの情報から遮断された空間の中で信じ続けて生きています。これこそが洗脳というものだ、と僕は思いました。と同時に僕は自分で色々なことを調べる手立てを長期間失ったり、もしくは調べることを諦めたりした瞬間から、人間はどこに住んでいたとしても周囲や国家や何かしらの利益に誘導され洗脳されていくのだろう、ということもよく分かりました。だからこそ、これからも色んなことを自分自身の目で見て、感じて、触れて、そして自分の頭で考えながら生きていきたいと、改めて胸に誓いました。

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