「観光をするにあたってお願いがあります。それは金日成主席や金正日総書記、そして金正恩第一書記への我々の忠誠心と気持ちを察していただきたい、ということです。」「決して呼び捨てなどされないようお願いします。肖像画や銅像を写真に撮られるときは、どこか一部分が見切れたりしないよう全て画面の中に収めてください。」「こちらで新聞や書籍などを買われるかもしれませんが、それに主席などのお写真が載っているときは、その写真が折れ曲がったりしないように気をつけてください。また必要が無くなったとしても決してゴミ箱などに捨てたりしないでください。その新聞を包み紙などに使用しないでください。」
ツアーガイドとの旅程の打ち合わせなどのブリーフィングにあたって、一番初めに念を押して言われたのが上記のようなことでした。もちろん僕たちのツアーガイドの二人共、そしてホテルで見かけたその他大勢のツアーガイドやスタッフをはじめとする現地の人々も、みんな左胸に金日成や金正日の肖像画のバッジを付けています。
僕たちが彼らの信仰の対象をどう思っているのであれ、彼らを悲しい気持ちにさせたくは無いですから、僕自身相当に気を使って”普段は何も考えず呼び捨てしている金日成たちの名前”に、彼らと同じように敬称を付けて呼ぶように努力しました。それでも一度は煩わしいのも手伝って「金正日さん」と言ってしまったのですが、やはり相手の顔色がすっと変わるのがわかりました。
と、まぁ要するにそれくらい外国人の僕たちですら気を使わなければならないのが、彼らの信仰の対象である金ファミリーという国家元首なのです。
平壌の街のいたるところには金日成や金正日の肖像画が飾られています。
銅像のでかさは半端ではなく、軽々しくポーズを取って写真を撮るなんてことはもっての他、銅像に献花した後にしっかりと頭を下げたお辞儀を求められます。
そして市内にはそれぞれなんらかの意味(抗日勝利とか)と、そしてなんらかの記念日(例えば金日成の生誕〇〇周年とか)を紐付けた巨大モニュメントがあちこちに建っていて、どれもこれもスケールが壮大です。
極めつけはこれ、太陽宮殿。
金日成、そして金正日の遺体がそのままの状態で保存されている、バカでかくて超豪華なこの宮殿は、徹底的に管理されていてカメラはおろかコイン一枚ですら持ち込ませてくれない。入り口から数百メートル続く廊下には、これみよがしに豪壮な音楽が鳴り響き、往復分設置された動く歩道上では数多くの軍人・一般人が身動ぎ一つせず粛々と立っている。そして両脇には金日成たちの生前の大活躍がわかる写真の数々。
厚さ20センチはあろうかというような分厚い大理石の扉をくぐり、靴底の泥を落とすための自動ブラシの上を歩き、エアーカーテンで身体の埃を吹き飛ばされて、ようやく遺体が安置されている大広間にたどり着く。ライトアップされている金正日の遺体が入ったガラスケースの周囲を回りながら前後左右4度に渡って深くお辞儀をした後、この部屋を後にすると、今度は彼が生前に使っていたメルセデス・ベンツ、電動カートはおろか、電車の車両や船まで宮殿のそれぞれの広間に持ち込まれて展示されている。
世界の聖地と呼ばれるような場所、例えばバチカンやチベットのポタラ宮、エルサレムの聖墳墓教会や嘆きの壁にも行ったけれど、そのどれよりも強く訴えかけてくるようなこの宮殿の圧迫感ともいえる雰囲気は本当に別格でした。
これはまさに「カルト宗教の聖地」そのものです。国家や国民による同調圧力と周囲の情報からの完全遮断、そしてこのような大量のモニュメントや銅像と肖像、さらに極めつけのこの宮殿の空間はいとも簡単に人の心を持ち去り、そして縛り付けてしまうのに充分すぎる力を持っています。素晴らしい宮殿でしたが、僕は一歩外に出て空気を吸った瞬間に心の底からホッとしました。
僕の感じたもう一つの北朝鮮を知るキーワード、それはこの国の実態が共産主義や社会主義などではなく、金日成とその家系を信仰する「宗教国家」であるということだと思います。僕の全く知らなかった未知の宗教の聖地ど真ん中に来た、そんな感覚の数日間でした。
さて、次回は今回の旅のメインだったアリラン祭について書きたいと思っていますので、またぜひ読んでやってください。
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