司法書士ご一行様@シェムリアップ

先日カンボジア最大のお祭り『水祭り』が始まった20日、日本から司法書士法人新宿事務所のスタッフがシェムリアップにやって来た。

そもそもこの事務所がプノンペン郊外のプレイベンという地域に学校を寄付した贈呈式のためにカンボジアにやって来ていたのだが、その中の5名が今年の9月にSmileJPが主催した『将来、カンボジアが日本のような豊かな国になることを目指すスタディーツアー』に参加してくれており、今回シェムリアップの視察や孤児院に立ち寄るために訪れてくれた。

さっそく初日からローカルレストランや水祭りで賑わう夜店、地雷博物館にアンコールワットの日の出、孤児院市場、マッサージと僕に引っ張りまわされた一行は、今日も休む暇を与えてもらえるはずもなく巨大貯水池のバライやダラの村のビジネス視察に駆り出されることになった(笑)

アンコール王朝時代、すなわち今から約1000年も昔に人の手で造られたバライには、ここを護る西メボンという寺院が湖のような池の真ん中の島に祀られている。 ちなみに西メボンまで渡る船は借りきりで20ドル。

特に雨季明けの今の時期はカンボジア観光のベストシーズンでもあるわけだが、なるほど至る所に水が貯えられていて乾季の数段美しい景色を見ることが出来る。

バライの見学を終えた一行はSmileJPが出資を行なっている養殖池の視察に訪れる。 先日、餌の不具合や水位が高すぎることによって池の周りの雑草が根腐れを起こしたことによる水質の劣化が見られたが、ポンプで水を組みだして水草を始めとした周囲の雑草を全て取り除いたことで無事事無きを得た。
(参照記事)
養殖池の掘削開始
養殖池続報

ついでに東南アジアの強烈な雨によって積み上げていた土嚢が崩れてきていたので、その部分もレンガを積んで補強させた。

当初1匹平均1グラム程度だった稚魚の順調に成長してきており、もう既に200グラムを優に超えているだろうという大きさにまで成長している。 来年2月の初出荷を楽しみにしていてほしい。

上にも書いたように今がカンボジアのベストシーズン。 雨ももう殆ど降らないし暑すぎることも無い。 乾季には赤茶けた大地が広がるような景色になってしまうカンボジアも、今は豊富な水をたたえているおかげで、田んぼの緑の絨毯が果てしなく地平線まで続いているのを見ることが出来る。

こんななんでもない日常の風景ですら美しく見えるのがこの時期だ。

しかも今日のサンセットはここ数カ月のベストだった。 昨日は孤児院が運営する『シャンパンを飲みながら世界一の夕陽を見るツアー』に参加してくれた一行は、この両日で日本ではまず見ることが出来ないダイナミックな景色を堪能してくれたことだろう。

この景色を見ながら『HUGSが行う次の農村開発支援事業に投資したい!!』と言ってくれた司法書士法人新宿事務所のスタッフのみなさん。 ぜひ一緒にステキな時間を共有しましょう!! 楽しみにしています。

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安全な飲料水・その後

年明け早々には僕のご近所様になることが決定しているジローファミリーが、シェムリアップで住む家を探しにカンボジアにやって来た。

今回の主役は、すでに世界中どこに行っても絶対に生きていける逞しさを生まれながらにして持っている1歳の愛娘みらん。 今までご飯をたべるのを嫌がって大変な思いをしている親はたくさん見てきたけれど、こんなに豪快な食べっぷりをする子供は初めて見たような気がする(笑) 彼女の将来が本当に楽しみだ♪

ジローはご近所様になるだけではなく、今回設立するカンボジアHUGSのボードメンバーとして、さらに今一緒に手がけているプロジェクトのキーパーソンとして、そして孤児院を主体として行うサッカーリーグ『HUGSチャンピオンリーグ』の主催者の一人として、もうカンボジアに居てもらわなくては困ることになる重要人物だ。

そんな中、先日このブログで伝えたとおり途上国に安全な飲料水を提供するため情熱を燃やす社長が設立し、ガイアの夜明けなどでも紹介されている『日本ポリグル』のカンボジア担当者、永見さんと藤本さんのお二人が、わざわざプノンペンからうちの孤児院まで足を運んでくれた。 しかも孤児院にある5トンほどの水が入る貯水タンクで1ヶ月ほど使える分のポリグルのサンプルまで持ってきてくれるという、破格の高待遇のおまけ付きだ。

まずはこれを最初にアレンジしてくれたイチローさんに心から感謝します。  永見さんと藤本さんのお二人は孤児院に到着するなりさっそく作業にかかってくれた。

(参照)
安全な飲料水・日本ポリグル
http://hugs-int.com/kengo/archives/1246

『知る』と『やる』とは大違い
http://hugs-int.com/kengo/archives/1249

現在の孤児院の飲料水は地下水をエンジン付きのポンプで貯水タンクに汲み上げ、それを備え付けの濾過フィルターを通して使っている。 ただしこの方法では有害なヒ素や重金属が全く除去できないそうだ。

しかも濾過フィルターをチェックしていただいたところ、手入れをしていないことが原因で濾過用の砂にヘドロがこびりついていて、こんな水を飲んでいると誰でもお腹を壊してしまうということで、濾過フィルターのメンテナンスからやっていただくことに。 これは砂を補充する為に水中で砂を細かく濾すと同時に洗浄しているところだ。

僕も含めて誰も知らなかったやり方を指導してくれるというのはやはりプロですね〜。

さらにポリグルを放りこんで不純物を沈殿させる貯水タンクの中も苔がびっしり生えているという指摘を受けた。 すぐさま貯めてあった水を抜きながら子供たちを中に入らせて清掃開始。



それにしてもこのお二方、率先してドンドンと作業を進め、みんなにも的確に指示を飛ばしている。 おかげさまで、今まで長らく全くメンテナンスをされていなかった部分がみるみるきれいになっていく。 そしてやはり強く感じたのは、日本人特有の『徹底的にこだわる』という姿勢。

カンボジア人がまぁこんなモンでいいだろうと思っているところで妥協することがない。 というか僕自身が見ていてもここまでやるのか改めて感心するくらい徹底的にきれいにしていく。 あぁ、僕がカンボジア人化しているという可能性はこの際置いておきましょう。。。

考えて見れば飲料水は身体を構成することになる、まさに『命の水』な訳だから適当な事をしていていいはずはないよな・・・

カンボジア人の考え方なら汚れている部分を見つけると『見なかったこと』にする(笑) それに比べDNAが神経質に出来ている日本人は、分解してでも綺麗にしたくなる。 こういう日本が世界に誇れる気質をもっともっと世界に自信を持って広めていくことが出来るなら、日本はすごく強いと思うのだけれど。

このように濾過フィルターの内側についている苔と砂についているヘドロも徹底的に綺麗にしていく。

実はこういったこだわりこそが今までの日本の強さの秘訣であったような気がしてならない。世界中の人が『こんなもんでいいだろう』と思ったところから、さらに奥深くまでこだわりを見せ最終的に誰もが想像もしていなかった場所に到達する。

それを欧米スタイルの合理的経営とやらいう波に押されて、より効率的にそれなりの商品を作る、という世界中の誰もがやっている方法を真似てしまったのが今の日本の敗因なんじゃないだろうか。 どんな事だって、やるからには徹底的にやる。 自分自身にももう一度言い聞かせなければいけないなと強く感じた一日だった。

この飲料水に関する問題もこれから随時このグログでも取り上げていきたいと思います。

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間違ったモノサシの使い方

明日は先日日本に帰国したときにイチローさんから紹介していただいた、日本ポリグルの方がうちの孤児院の水質改善のために直接出向いてくれることになった。
(参照)
安全な飲料水・日本ポリグル
http://hugs-int.com/kengo/archives/1246

これを皮切りにうちの子供達、そして近隣の住民の人々、更にはダラの村などの他の地域の人々にも安全な水を提供出来るような仕組みづくりが出来ればいいと思ってる。 先日もイチローさんとせいきゅんが、なんとかこれをビジネスの仕組みに落としこんで永続的なモデル(最近流行りのサスティナブルっちゅーやつね♪)にできないか頭をひねってくれていたようだ。

それぞれが色々な場所で銘々に想いを巡らせながら、それが一つに融合して進歩していくっていうことを目の当たりにし、あまつさえその輪の中に自分が入っている事を体感出来るのが非常に心地良い。 願わくば、もっと自分にこの流れを加速させる力が欲しいもんですね。

さて、先日ちょこっとツイッターにも書いたんだけど、以前からこのブログにも書いているように経済的な貧しさと幸せは全く別次元の話なのに、やはりよく見かけるのは『途上国の人々は貧しい暮らしをしているのに幸せそうに見える』というようなニュアンスの発言だ。これってどうしても金銭と生理的体感が全く違う次元の話だっていうふうに考えられないんだろうか。

例えばもし誰かが『あいつ金持ちなのに寒がっている』とか『この人貧乏なのに眠そうだ』なんて言ってたら、絶対バカだと思われるはずなんだけどね(笑) 幸せっていうのはそれぞれの人の脳みその中の生理現象なんだから、そもそも他人が見て幸不幸を判断してもあまり意味が無いと思うわけですよ。

そんな他人の感覚を自分のモノサシ(しかも経済的な)で計ってしまうこと事態が浅はかだし、そんなことしている以上何をやっても自己満足の域を出ないと思うんだよね。 そんなこと言ってるより「お前のこと稼がせてやるから幸せかどうかは自分で判断しなさい」って言っているほうが、よっぽど筋が通ってるよね。

僕が思うにこういった人たちは『自分が幸せかどうかを他人目線で考えてしまう』から起こる現象なのかも知れない。 年収がいくら以上だとか、大学がどこを出たとか、貯金がいくらあるとか、その他職種・勤務先・身長体重・・・最近だとツイッターのフォロワー数とかミク友の数とか(笑) 常に自分がどの位置にいるか指標が有って確認できないと、自分の幸不幸が判断できない。そういう人は、この幸せとかいうモノは決して他者が判断するようなモノ、若しくは頭で考えるようなモノではなくて、自分自身の感覚、すなわち感じるモノだということを知ることが重要なんだろうと思うんだけど。

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