一度の失敗が人生を決めてしまうと恐れて、起業や国外への進出を恐れているすべての人へ「若者よ、アジアのウミガメとなれ」

僕自身がカンボジアを皮切りにアジア・そして世界の途上国にむけてAGRIBUDDYというサービスを提供し、アジアのウミガメとなるべく日々奮闘している一人でも有り、そして何よりも加藤さんご本人にその挑戦を「ヒト・モノ・カネ」の全ての側面でサポートしていただいている一人としては、この本に書かれていることを通して加藤さんという人物について触れないわけにはいかないだろう。

あまり内容の詳細を書いてしまうとネタバレしてしまうので割愛するが(笑)、冒頭は加藤さんが学生時代に先輩たちと一緒に起業して一世風靡したにも関わらず、大卒一年目に事業モデルの前提となっていたルールが根底から変更されて倒産するという、まさに『起業=リスク』という事例そのままのひどい目に合うといったエピソードが披露されている。まぁ普通の人であればここで人生が詰んでしまって、一生「起業なんてしないで新卒で就職していれば良かった」と悔やみながら過ごすことになるんだろうと考えるのかもしれない。

世間の殆どの人は、事業で失敗すれば復活することなんて不可能でその後は貧しい生活が待っている、と思い込んでいる。ところがそれは、全くの思い込み違いも甚だしい話なのかもしれない。

僕はありがたいことに加藤さんを通じて、このときの「学生起業〜倒産」を一緒に経験した人々とご一緒させて頂く機会が多いのだが、みなさん上場企業のオーナー社長だったり役員だったり、むちゃくちゃ儲かるビジネスをやっていたりで、誰も彼もが大成功しているという一種異常な集団となっている。『そもそも才能のある人達が同じ時期・同じ場所に集まったから、その後も大復活が出来たのか、それともこのような経験をしたからこそみなさんの今が有るのかどっちなんだろう』と考えたり、実際にそのように質問させていただいたりしたことも有るけれど、多分答えは後者なんだろうと僕は思っている。

殴られたことのないプロボクサーも、転倒したこと無いプロスキーヤーも、クラッシュしたことのないプロレーサーも絶対に居ない。事業だって同じことだろう。そして失敗は若いときほど傷は浅く治りも早い。これこそが加藤さんが積極的に若い人たちに話をしに行く最大の目的だろう。

加藤さんには、AGRIBUDDYの資金調達で投資家回りをご一緒頂く機会もまた非常に多いのだが、とんでもなくタイトなスケジュールを押し込んでくる。実際にタイトすぎて加藤さんと一緒に電車の駅構内をダッシュしたことも何度も有る(笑) っていうか、加藤さんがダッシュするから僕も走るしか無いわけだけれど、僕が加藤さんくらい有名な人だったら平気で相手を待たせてしまっていただろう。この実直さも加藤さんの魅力の一つなんよな〜とか学ばせてもらいながら、ふと気がつくと空いた1時間弱を割いてネットで連絡してきた見ず知らずの学生と待ち合わせをして、真剣にアドバイスをしたりしている。

多分、知っている人は多いと思うが加藤さんはTwitterとかFacebookの投稿数も非常に多い人だ。で、四六時中誰かと会っている。なのにも関わらず僕からのメッセージなどに関しては、ほぼ即レスだ。レスが返ってこないときは多分飛行機の中で物理的に返信出来ないときくらいなんじゃないだろうか(笑) 夜中まで事業の相談に付き合ってもらったことも一度や二度ではない。それくらい多忙なのに、まだ新たな見知らぬ若い人たちと時間を見つけては会おうとしている。

実は僕自身が、加藤さんにTwitterを通して連絡を取って会ってもらった『”元”見知らぬ人』の一人でも有る。残念ながら若くは無かったけれど。そして、そのことがきっかけになって事業に出資をしていただき、様々なピンチを一緒に切り抜けてもらい、AGRIBUDDYという1アイデアを実現するチャンスを作ってもらって、さらにはそれを本格的に事業化するための提案をしてもらって今に至ってます。

ただでさえスケジュールがいっぱいの加藤さんには怒られるかもしれないけれど、若い人はもっと臆さずに加藤さんに連絡を取ってみるべきだと僕は思う。まずは本を読んでみて、何か感じるところが有ったのであれば、次は実際に会いに行ってみるべきだろう。そしてぜひ、どんな手段を使ってもチャンスを作って加藤さんとマンツーマンで話す機会を手に入れてほしい。こんな面白くて、バカ正直で、若い人に対して一生懸命なおっさんって、そうそう巡り会えるものではないと思うから。

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AGRIBUDDYが表彰されました

非常に実り多き日本出張から戻ってきて、ようやく一息ついたところなのでブログ更新しちゃいましょう。今回の出張では1泊だけ久々に地元大阪に寄って、お世話になっているのに中々会えてなかった人たちのところに顔を出してきた。特に僕が20代のころから何かと世話を焼いてくれていた僕の父親と同い年のおっちゃんのところにも顔を出せて、相変わらずの調子でのんびり楽しくやってくれているのが確認できたのが何よりもの収穫だった。僕自身が、ものすごい勢いで変わり続けている場所に身をおきながらも、20年経っても変わらず迎え入れてくれる人々が居る場所があるっていうのは、本当にありがたい。

さて、そんな若干センチメンタルな大阪滞在を終えての東京では、AGRIBUDDYが次のステージに進むための資金調達ラウンドのプレゼンをメインに、様々な新しい人との出会いがあった。中でも特に『デリー勤務を命ず 辞令が出たら読むビジネス版インドの歩き方』『インドのことがマンガで3時間でわかる本』などの著者で、AGRIBUDDYインド進出への頼れる水先案内人を務めてくれている繁田さんから、「6月24日に日経フィンテックのイベントで、スタートアップピッチバトルが有るんだけど出てみませんか?」という連絡をもらった。

あら、ちょうど購入したばかりの航空券が24日の朝に出国する便になっているのですが……。 とは言え、このチャンスを逃すわけにもいくまいと、すぐにチケットをキャンセルして一日東京の滞在を延ばしました。っていうか、実は宿泊もすでに予約を入れていて、一泊延ばすのを完全に忘れていたことに気がついたのは、24日にイベントを終えてホテルに戻った時だった(笑)

当日のイベントでは、ピッチバトルのモデレーター、トーマツベンチャーサポートの大平さんが事前にプレゼンのヒヤリングを行ってアドバイスなどをしてくださった甲斐もあって、7分という制限時間内に最低限伝えたい事を盛り込むことができ、そうそうたるメンバーの審査員の皆様からもAGRIBUDDYの取り組みに対して、大変素晴らしい評価をいただくことが出来ました。

表彰の壇上を下りるとすぐに春田さんから「日経Fintech表彰されたんだ?おめでとう」というメッセージと共に下の写真が送られてきた。received_10206894117457012僕自身がまだ一枚も写真持ってないのに、早っ!(笑)さすがのネットワークです。

当日の様子は下記の記事にもしていただけました。
http://thebridge.jp/2016/06/nikkei-fintech-conference-2016-fintech-startups
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/062700559/?ST=fintech&P=1

また、時を同じくして先月取材をしていただいたTechwaveのマスキンさんも、素晴らしい記事を書いてくださっています。
http://techwave.jp/archives/agribuddy-22001.html

いやはや、さすがプロ。僕よりも説明が上手いので、今後AGRIBUDDYってどんなサービスなのと聞かれたら、この記事を使わせてもらうことにします。

また、AGRIBUDDYの構想の元になったカンボジアでのプランテーション事業などを行う、HUGS agtechへの投資からお付き合いいただいている加藤さんも早速ブログをアップしてくれました。
http://katou.jp/?day=20160627

当初AGRIBUDDYの構想を話した時にCTOの原永さんをカンボジアまで連れて来てくれたのも、AGRIBUDDYをHUGS Agtechからスピンオフさせて一気に攻めようと提案してくれたのも、今回の日経フィンテックに繋がることになる繁田さんを紹介してくれたのも、実は全部加藤さん、という、まさに「ハンズオン投資」の見本のような活躍を惜しみなくやっていただいています。

いやぁしかし、改めて考えてみるまでもなく本当に色んな人に支えられていますねぇ、僕は。AGRIBUDDYをなんとしも成功させて、みなさん口々に「AGRIBUDDYは俺のお陰でうまくいったんだよ」と言ってもらえるようにしたいな〜。

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30年ぶりのサンフランシスコ

中学三年生の夏休み、1985年に僕は生まれて初めて外国に行くことになった。行った場所はサンフランシスコ(というか厳密に言うとサンノゼ)。

僕の両親は共働きの一般的な家庭で二人ともパスポートも持っていなければ外国にも行ったことがない、もちろん英語も話せないという環境下なのにもかかわらず、僕はアメリカでの1ヶ月短期ホームステイというものに参加してみることになり、サンノゼにあるアメリカ人家庭にお世話になることになった。

当時の僕は不良少年に憧れているおバカさんだったので、アメリカといえばロサンゼルスやニューヨークの超高層ビルが林立する大都会に、金髪の白人やマッチョな黒人がひしめき合っていて、どこもかしこもエキサイティングなんだろうなんて思いながら行ったので、サンノゼのあまりに静かで高い建物一つ見当たらない景色に「なんて面白く無い場所なんだろう」と思ったのを覚えている。

その後中学を卒業してアメリカに行くことになり再びサンノゼに戻ったのだけれど、やっぱり「こんな田舎は嫌だ、ロサンゼルスがいい」と両親にだだをこねてオレンジカウンティーに住むホストファミリーに変えてもらうことになった。その時はまさかこの田舎がシリコンバレーと呼ばれ、世界的に名だたる超有名企業と経営者を生み出す場所だったなんて全く想像すらしていなかった。もうすでにスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツたちが目と鼻の先でしのぎを削っていたはずなのに、無知ってコワイですよね。。。

それから30年の時が経ち、先日サンフランシスコとシリコンバレー周辺に訪れる機会に恵まれた。僕も今やなぜかIT系ベンチャーのCEOというポジションになっていて、この手のビジネスの聖地といえばシリコンバレー。そこにひしめき合う投資家たちに事業のプレゼンをして「大化けする可能性のあるスタートアップ」だと認知してもらい、投資を受けるというのがグローバルマーケットでの成長を目指すIT系ベンチャーの王道だろうと考えていた僕は、まずは実際のシリコンバレーがどんな場所で(30年前の記憶は閑静な田舎町という記憶しかない)、そこにいるスタートアップや投資家とはどんな人達なのか、その人たちに自分たちの事業を話してみるとどんな反応が返ってくるのか、などを確認するのを目的として出来る限り多くの人にお時間をとっていただいて、お話を聞いていただくことにした。

まぁ、その内容はまた次回に書くとして、何よりも驚いたのはシリコンバレー界隈の人々の親切さだった。なんていうか、あの短期間の滞在中に一体どれだけの人たちに「お返しのしようがない」親切をしてもらったか、数えればキリがないくらいだ。特に今回はパロアルトという、スタンフォード大学のお膝元にあるアメリカ人家庭にホームステイさせてもらったのだが、そのホストファミリーはレンタカーを借りようとすれば場所と価格を調べて送り届けてくれ、朝食も日本人の僕のためにウドンなどを用意しておいてくれたりした。僕の事業内容を聞けば「あ、そういえばご近所さんがゲイツ財団で農業系の仕事をしていたはずだから紹介してあげる」と言ってCNNテレビにゲイツ財団の農業専門家として出ているような、トップクラスの農業博士の家に連れて行ったりもしれくれた。

ちなみに僕のホストファミリーのおじさんはNASAのエンジニアで、娘さんは米国公認会計士、息子さんは8歳からプログラミングを初めて大学生の現在すでにパートタイムプログラマーとして充分な生活費が稼げているそうだ(笑)いやもう、こんな人たちばかりが近所に集まって住んでいるって、街全体の知的レベルがむちゃくちゃに高いということを改めて認識せざるを得なかったわけですよ。周囲の環境こそがもっとも人格形成に影響すると考えると、こんな場所で育ったら素晴らしい人になるんだろうなと思いつつ、そこで青春時代を過ごすことが出来た可能性を自分から進んで捨て去った30年前のあの日の自分にアドバイスを送りたい気持ちでいっぱいになりました。

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