30年ぶりのサンフランシスコ

中学三年生の夏休み、1985年に僕は生まれて初めて外国に行くことになった。行った場所はサンフランシスコ(というか厳密に言うとサンノゼ)。

僕の両親は共働きの一般的な家庭で二人ともパスポートも持っていなければ外国にも行ったことがない、もちろん英語も話せないという環境下なのにもかかわらず、僕はアメリカでの1ヶ月短期ホームステイというものに参加してみることになり、サンノゼにあるアメリカ人家庭にお世話になることになった。

当時の僕は不良少年に憧れているおバカさんだったので、アメリカといえばロサンゼルスやニューヨークの超高層ビルが林立する大都会に、金髪の白人やマッチョな黒人がひしめき合っていて、どこもかしこもエキサイティングなんだろうなんて思いながら行ったので、サンノゼのあまりに静かで高い建物一つ見当たらない景色に「なんて面白く無い場所なんだろう」と思ったのを覚えている。

その後中学を卒業してアメリカに行くことになり再びサンノゼに戻ったのだけれど、やっぱり「こんな田舎は嫌だ、ロサンゼルスがいい」と両親にだだをこねてオレンジカウンティーに住むホストファミリーに変えてもらうことになった。その時はまさかこの田舎がシリコンバレーと呼ばれ、世界的に名だたる超有名企業と経営者を生み出す場所だったなんて全く想像すらしていなかった。もうすでにスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツたちが目と鼻の先でしのぎを削っていたはずなのに、無知ってコワイですよね。。。

それから30年の時が経ち、先日サンフランシスコとシリコンバレー周辺に訪れる機会に恵まれた。僕も今やなぜかIT系ベンチャーのCEOというポジションになっていて、この手のビジネスの聖地といえばシリコンバレー。そこにひしめき合う投資家たちに事業のプレゼンをして「大化けする可能性のあるスタートアップ」だと認知してもらい、投資を受けるというのがグローバルマーケットでの成長を目指すIT系ベンチャーの王道だろうと考えていた僕は、まずは実際のシリコンバレーがどんな場所で(30年前の記憶は閑静な田舎町という記憶しかない)、そこにいるスタートアップや投資家とはどんな人達なのか、その人たちに自分たちの事業を話してみるとどんな反応が返ってくるのか、などを確認するのを目的として出来る限り多くの人にお時間をとっていただいて、お話を聞いていただくことにした。

まぁ、その内容はまた次回に書くとして、何よりも驚いたのはシリコンバレー界隈の人々の親切さだった。なんていうか、あの短期間の滞在中に一体どれだけの人たちに「お返しのしようがない」親切をしてもらったか、数えればキリがないくらいだ。特に今回はパロアルトという、スタンフォード大学のお膝元にあるアメリカ人家庭にホームステイさせてもらったのだが、そのホストファミリーはレンタカーを借りようとすれば場所と価格を調べて送り届けてくれ、朝食も日本人の僕のためにウドンなどを用意しておいてくれたりした。僕の事業内容を聞けば「あ、そういえばご近所さんがゲイツ財団で農業系の仕事をしていたはずだから紹介してあげる」と言ってCNNテレビにゲイツ財団の農業専門家として出ているような、トップクラスの農業博士の家に連れて行ったりもしれくれた。

ちなみに僕のホストファミリーのおじさんはNASAのエンジニアで、娘さんは米国公認会計士、息子さんは8歳からプログラミングを初めて大学生の現在すでにパートタイムプログラマーとして充分な生活費が稼げているそうだ(笑)いやもう、こんな人たちばかりが近所に集まって住んでいるって、街全体の知的レベルがむちゃくちゃに高いということを改めて認識せざるを得なかったわけですよ。周囲の環境こそがもっとも人格形成に影響すると考えると、こんな場所で育ったら素晴らしい人になるんだろうなと思いつつ、そこで青春時代を過ごすことが出来た可能性を自分から進んで捨て去った30年前のあの日の自分にアドバイスを送りたい気持ちでいっぱいになりました。

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