以前のエントリーで何度か紹介したことのあるブログ『のら猫モダニズム~政治とアートと心のブログ~』を書いているのらVさんが、今回『【政】本当は貧乏な国 日本 ①』というタイトルの記事の中で貧困について触れている。
・【政】本当は貧乏な国 日本 ①
http://ameblo.jp/krakens-noir/entry-10515742093.html
当初は彼女のブログにコメントを書き込もうと思っていたんだけれど、なんとなく長くなりそうな気配を感じたのでネタをパクってしまうことにしました(笑)
のらVさんの考察と共に読んでいただければ幸いです♪
貧しいってどういう事を言うんだろう、と以前から何度も自分自身に問いかけてきた。
単純に所有している金額だけを以て裕福だとか貧乏だとか決めるのは、どうもしっくり来ない自分がいつも存在していたので、今回は僕的貧困の定義ってやつについて考えてみたいと思う。
そもそもお金をいくら持っているかで裕福度合いを決めると言われても、お金は人工的にいくらでも創りだすことが出来る代物なので、どこを基準にすればいいのかさっぱりわからない。
しかも同じ金額を使っても、その場所によって出来ることも全然違う・・・
例えば先日のエントリーにも書いたように、無茶苦茶贅沢な飲み方をしてもこの近辺だと200ドル(2万円)でお釣りが来るのに、銀座だと2万円ぽっちでは贅沢気分を味わうことすら出来ない。
(参照)
・ちょっと悪ノリ
http://hugs-int.com/kengo/archives/1134
そこで、こんな曖昧で基準が明確ではないお金より、あらゆる人にとって最も大切で何にも変えることができないもの、時間というものを基準に貧困というものを定義してみた方がわかりやすいんじゃないかと考えるに至った。
ビル・ゲイツでもロスチャイルドでも、はたまた僕でもアフリカの難民でも、全ての人に共通していることは、それぞれ1人が1日に使うことの出来る86,400秒という時間だ。
僕は、この86,400秒という自分の時間をいったいどれくらい自分の思い通り、満足するように使うことが出来るのか、ということがその人の貧困度合いを測定するのに一番わかり易いのではないかと思う。
現代の実社会において、お金というツールは自分のやりたい事をするためにある程度必要であることは間違いのない事実だ。
だから世界で経済的貧困層と呼ばれている人々が、食べたいときに食べることも出来ないなど、何一つ自分の思うように出来ない状況は、やはりこの定義を当てはめても貧困であるということになる。
では、のらVさんが貧乏だと書いている日本人はどうだろう?
86,400秒のうちいったいどれだけの時間を、自分が満足するように使うことが出来ているだろう?
これは単純に金をかければ満足出来るってものではないはずだ・・・
例えば、大好きな人と近所の美味しいラーメン屋で過ごす3,600秒(1時間)と、どうしても付き合いで断れなかった顔を見るのも嫌な人の接待で行くリッツ・カールトンのフレンチレストランでの3,600秒・・・
本来ならどっちの時間が自分にとって有意義で幸福な時間かと言うことは、みなまで言う必要は全くないよね?
でも、現実問題としてみんなはどっちを選んでいるんだろう・・・?
自分の時間を自分の思い通りにならない、満足出来ない使い方しか出来てないのならば、これは世界の経済的貧困層と呼ばれている人たちと何ら変わりがないってことで、いくらお金を持っているとか、いくらお金を使ったとかいうこととは次元が違う問題だってことだ。
これこそが本当の意味での貧困ということになるんじゃないだろうか?
だからもし今、自分が貧しいと感じているのなら、今よりもたとえ1秒でも多く満足のいく時間を捻出することを考える方が、1万円余分に稼ぐことよりも大切だと僕は思います。
それが何よりも自分を、そして日本を豊かにすることにつながるはずだから・・・
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