今日はダラと一緒にシェムリアップにある日本料理屋に飯を食いに行ってきた。
そこには日本のカメラマンが撮影したカンボジアの写真集が置いてあったので、ダラにも見せてやろうと手にとって見てたんだけれど、なんて言うかとっても恣意的な写真ばっかで見ていた僕たち二人は少し気分が悪くなってしまった・・・
「なにこれ?30年前のカンボジアの写真か?」とダラ・・・
残念ながらつい最近発行された写真集だ。
概して写真なんてものは撮る人の持っている方向性で全く伝わるものが違ってくるんだけれど、白黒でトーンを思いっきり暗くして、『裏路地やごみ山の一番汚い部分ばかりを撮ってあるその写真集』は、実際にこの国で暮らしている人にとって決して気持ちのいいものではないだろうと思った。
もちろんカンボジアで悲惨な暮らしをしている人は今もたくさんいるし、そのために多くの人や国がサポートにしているのも事実だけれど、いつまでも「カンボジア=貧しくかわいそうな国」としてのレッテルを張り続けるのは、この国で将来を見据えて弾けるような笑顔で毎日を過ごしている多くの人達にとって、屈辱的な事なんじゃないだろうか?
それともカンボジアは、いつまでもかわいそうな哀れみの対象でなければならないんだろうか・・・
多くの孤児、地雷の被害者、ごみ山で暮らす人々、地雷撤去を行っている人々、実はこの国の人たちは本当に明るく陽気な人達ばかりだ。
いつもいつも陰鬱な暗い顔をして、苦しみながら生きている訳じゃない。
僕が一緒に地雷原に行った地雷撤去のスペシャリスト、アキラとその仲間たちだって実際のところかなり面白く陽気な連中だ・・・
(参照)
・地雷撤去
http://ameblo.jp/kitaurakengo/theme-10017595146.html
そしてもう一つこんな文章を発見した・・・
「カンボジアの農村に大きな資金を与えると、村民の金銭感覚が狂うだけなので・・・」という日本のNGO団体の言葉だ。
日本人は優秀だから大きな資金を持ってもコントロール出来る能力を持っているけれど、カンボジアの農村の連中は無いってことなのか?
日本も戦後は無茶苦茶貧乏だったんだぜ!?その時支援に来た欧米人が日本人にそんなこと言ったか?
なんだろう・・・絶対に人を対等に見てないような気がする。
「僕たちは日本人で経済的にも豊かで教育水準も高いから、君たちのことをしっかりと助けてあげるよ。だから全て僕たちの言うとおりにするんだよ。そうすれば君たちは生きていくことができるから・・・」
っていう感じにしか見えないんだけれど、これって絶対に相手を見下しているよね。
本当に相手を対等に見るのならば、いち早く状況をコントロールする権利を現地の人々に渡すべきはずだと僕は思うし、そのためにも相手が豊かになるようにするべきなんじゃないだろうか。
もういつまでも途上国の悲惨さを訴えて、寄付金を集めて回って、それで現地の人々に施しをして優越感に浸るっていう時代じゃない。
自分たちも現地の人々と一緒に、どれだけ豊かになるかっていうことを考える時代だ。
同じ場所に立って自らも貪欲にならなければ、安全地帯の上からいくら綺麗事を言ったところで世の中なんて何も変わるはず無いよね。
そしてそうやってみんなで新たに生み出した富で、これからの時代を創っていく子供たちを支えていきたいと僕は思います。
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