ちょっと真面目な話♪

昨日のブログに書いた質問では、フィフォン達の家族は孤児院を運営しているのが仕事なのだから、寄付金の中から給料をもらうことが出来るはずだという意見を頂いた。
(参照)
寄付の限界と問題点
http://hugs-int.com/kengo/archives/1190


その中から今回は、時事問題オタク・えびてんさんの意見である『当然給料は多くあるべき。フィフォン家が経営者なら、その労働時間に+責任と+リーダーとしての才能に対して対価が与えられるべきでそれは、雇用される側よりは多くて当然。』について考えてみたいと思う。実はこの後にも意見は続くのだが、ここまでの方が論点が明確なのであえてこれで使わせてもらいます。


で、ここで出てくる『経営』という言葉が実はこの問題の理解をかなりややこしくしてしまっている。もちろん孤児院といえども収支をしっかりとたてて運営しなければならないのだけれど、経営というビジネス視点で成り立っているものなのだろうか?その場合『より良い経営』とはどのような状態のことをいうのだろうか?


通常、学校などは生徒がよりたくさん集まるように魅力的なカリキュラムを用意し、その生徒たちから学費を納入してもらうことで経営をしていくという、完全に営利が見込めるスタイルだ。反面、こういった孤児院のように人を受け入れれば受け入れるほど、出費が嵩むという『逆ざや事業モデル』の場合、いくら孤児院のカリキュラムを魅力的にしても集まってくる子供たちからの収入は見込めない。となると、いかに収入である寄付金を多く集めるか、ということが良い経営収支を上げるということになってくる。そしてチャリティーイベントなどを行ったり、ウェブサイトなどで精力的に寄付金を募ったりという行為に繋がるのだけれど、それは正しい方向性なのだろうか?そのようなイベントを行う費用ももちろん寄付金から捻出されるわけだけれど、それは果たして有効な使い方なのだろうか?また、そのような費用すら捻出できない貧しい組織はどうすればいいのだろうか・・・


実際問題としてうちの孤児院は月額2500ドル程度の寄付金収入(マイクロクレジットで新たに増えた収入を除く)で運営されている。月額50ドル程度のチャイルドスポンサーの資金や、サラたちのようにある程度まとまった資金を寄付してくれている人たちからの資金を含めてだ。そしてこの運営資金のプライオリティーはもちろん『子供たち』の生活などにかかる費用ということになる。そうなるとえびてんさんの言っている『当然給料は多くあるべき。』との矛盾が生じてくる。なぜならば、いくらカンボジアといえども2500ドル程度では、子供たちに素晴らしい環境を提供するには少なすぎるからだ。


そしてそもそも多くの収入を得たいのであれば、孤児院を経営することが正しいのだろうかという問題に突き当たる。もちろん答えは『否』だ。ならば孤児院の運営者は、子供たちのために貧しい暮らしを余儀なくされて当然ということになる・・・しかし、そうなってしまうと孤児院などはお金がたくさんあるような篤志家か、マザーテレサのような世間への煩悩を捨て去ってしまったような人にしか運営できないものになってしまう。


適正な給与とは一体いくらなのだろう?
そしてその適正な給与以上を望むことは不適切な行為なのだろうか?


全ての人に経済的に豊かな暮らしを望む権利があるならば、彼らはどうすればそのような暮らしを目指すことが出来るのだろうか・・・



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寄付の限界と問題点

うちの孤児院もいろいろな国からの寄付を受けて運営している以上、これらのお金がいったいどこにどれくらい使われているのかしっかりと報告する義務がある。便宜上『うちの』という言い方をしているけれど、実際は僕もこの孤児院をサポートしている側の一人なので、それらの資金の使い道をしっかりとオープンにすること、そしてその監督機関として第三者機関を設置することなどを提案した。そもそもこれらの提案は、今年の4月にオーストラリア人のクレアの家族たちがカンボジアに来ていた際、自分たちが集めて寄付したお金の使い道に少し不安を感じている、という話を聞かされたことから始まった。
先日僕がスイスに行った際にサラたちにもその話をしていたところ、やはりそれらをしっかりと外部で管理できる仕組み作りが必要だってことになった。そこで、その提案を理事長に対していきなり活字でプリントした手紙を送ると、なんだか『通告書』のようになってしまうから、あえてライトな形の手書きでの『親書』にして、現在孤児院に対して支援をしている主だった人たちの連名で送付しようということに・・・みんな住んでいる国がバラバラだから、スキャンしてメールに添付した手紙をプリンアウトして、自筆でサインした後またスキャンして次の人にメールする。いはやは本当に便利な時代になったものだ♪

で、当然の成り行きとして現在シェムリアップに住んでいる僕が、その管理をするという役目を任されることになったんだけれど、ここからが結構大変だ。というのも、寄付をしている側と寄付を受けている側とにかなりの見解の相違があるからだ(-。-;)

まずはその予備情報として、現在のカンボジア(シェムリアップ周辺)の人々の給料を整理しておきたい。通常僕達が行くような外国人向けのレストランで働いている人たちの給料が約60ドル(5,500円)くらい。これはマッサージ店で働いている子でもほぼ同じような給料だ。ちなみにこれは月給であって日給では無い。これで基本的には毎日休みなしの労働。ちなみにうちのハウスキーパーの女の子は、毎週日曜日が休みの午前中のみで40ドル(3,600円)。僕の知り合いのレストランのマネージャーが雇われの身としては高給取りの部類に入る100ドル。僕が一緒にジャングルに行った地雷処理をしているスタッフたちの給料でも150ドルだ・・・もちろんいくらカンボジアの物価が安いって言ったって、こんな給料ではとてもじゃないがいい暮らしが出来るはずはないし、なにか新しい商売を始めようにもタネ銭が無いというような状態に変りはない。
孤児院の理事長家族は、理事長・奥さん・パン(フィフォンの兄)・フィフォンの4人家族だ。この家族が孤児院を運営していて、主にフィフォンがフル回転で活躍している。孤児院がある土地は元々の理事長の持ち物で、、そこにいろいろな国からの援助で教室などが建っていて、現在は同じ土地の中にフィフォン達家族の家も建っている。そこに50人の孤児たちが、それぞれの教室に別れて寝泊まりしたりして一緒に暮らしているんだけれど、その全ての運営や生活資金は現在寄付によって賄われている。いわゆる電気代、食費、電話代、ガソリンや薪などの燃料費などなど・・・そしてそこで子供たちのために働いているフィフォン家族も、もちろん生活をしなければならないから別途給料が必要だという話になってきて、その給料ももちろん寄付金の中から捻出されることになる・・・
さて、ここでみなさんに質問です。

彼らフィフォン家族は色々な人からの寄付金で生活していて、最低限の衣食住が満たされた暮らしが保証されているのだから、それ以上に給料を望むのは間違っていると思いますか?
それとも孤児院を運営しているのが仕事なのだから、寄付金の中から給料をもらうことが出来るはずだと思いますか?


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頑張れせいきゅん

イビサに滞在しているときに、今回のディズニープロジェクトを主催しているNPO法人 SMILEJP の『せいきゅん』こと岩崎聖侍さんから1通のメールが届いた。
その内容によれば『自分の信じた方法で、カンボジアの子供たちの未来を考えて、今回の企画をしているんだけれど、あまりの批判の多さに自分が正しいことをしているのかどうなのかわからなくなってきた』と書いてあった。
せっかくフィフォンさんたちにもたくさん動いてもらったのだけれど、やっぱり中止する方向で検討する方がいいのでしょうか・・・?この金額を孤児院に寄付をする方がいいのでしょうか・・・

そんな悲痛な思いが綴られたメールだった。
もちろん今回のプロジェクトに関しては僕は招待を受ける側として動いているので、中止すると言われればそれに対して反論することが出来ない立場であるという前提のもとでだけれど、すぐにせいきゅんと電話で話をすることにした。それは遠く日本に離れていては感じることの出来ない、子供たちの日本へ行くことに対する期待感や、そのことから発生してくる未来への希望や夢など、現地でしか知ることが出来ない『生の雰囲気』を少しでもせいきゅんに伝えたかったからだ。
僕はせいきゅんから批判の内容に関しては一切聞かなかった。聞いても仕方が無いことだし、本人も口にするのも嫌なものもあっただろうから。でもおよその見当はつくし、多分それは『そんな金額があるならば、もっと現実的なことに使いなさい』って言うようなものだろうと思う・・・たった一度だけカンボジアの貧しい子供たちを日本に連れてきて、自分だけがいい気になってるんじゃないのかってことだろう。
でもちょっと考えてみて欲しい。もし、日本のどこかの小学校がNASAから宇宙旅行に招待されたとしたら、僕達はそれを見て「一生にたった一度だけしか行けないのに、子供たちを宇宙に招待するなんて、NASAって本当に最低だ!!」とか「そんな金があるなら子供たちに参考書でも買ってやるべきだ!!」と批難するだろうか?
もしくはたった一度、宇宙に行くために人生をかけて挑んでいるような宇宙飛行士の人々は、現実を見ない可哀想な人々なのだろうか?

僕はそんな自らが夢見ることから逃げてしまって、現実という名の『過去に、どこかの誰かが実現した夢の後追い』だけしか出来ないような連中の話を聞く必要はない、ということを伝えた。日本に居るどこの誰がどんな批難をしたとしても、実際に子供たちやスタッフと直に接している僕が、彼らに今一番必要でせいきゅんにしか出来ないことは今回のプロジェクトだから、どうか頑張って最後までやり遂げて欲しいと・・・
後、残り2ヶ月・・・現地カンボジアでもパスポートの取得などにまだまだ手こずっている状況ではあるけれど、なんとかせいきゅんの想いに応えたい。
頑張ろう!!


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