こんな感じでやってます♪

さて、僕達はキャッサバというタピオカやバイオフューエルの原料になる芋の一種をカンボジアで育てています。

現在約220ヘクタール(東京ドーム50個分くらい)の荒地を開墾して農地にする、という作業からスタートし、約10ヶ月後の収穫で大きな利益が出ることを目指しているわけですが、今日は文章を書くのがめんど写真の方がなにかとわかりやすいので、これまでの作業の様子なんかを紹介したいなと思っています。

【ここに行き着くまでのお話は・・・】
文明の利器
http://hugs-int.com/kengo/

僕達が荒地と言っているのは、全域こんな感じのブッシュになっているような場所で、要は誰もが手をつけずに放ったらかしになっている土地です。

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で、これをブルドーザーなどの重機を使って更地にしていくのですが、当初工事会社にお願いして来てもらったブルドーザーがこれ(笑) こんなの一台でいったい何をするんだと・・・。

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ちなみにこれ一台で100ヘクタールの作業をするのは、10メートル四方の白い紙をシャープペンシル一本で真っ黒に塗りつぶすような感じと、いえばイメージしやすいでしょうか。
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まぁ無理ですね

ってな訳で、途方にくれる私たち(笑)
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結局もっと大きなブルドーザーをすぐに持っている業者が見当たらず、自分たちで購入することになりました。

はい、やっぱりせめてこれくらいは無いと安心して作業を見守る気持ちにすらなれません(笑)
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でもここはやはりカンボジア。 新品を買えばともかく中古の質は、わかり易い言葉で言えば「最悪」  いたるところが壊れます。 いやマジでアホほど壊れます。

ボルト一本が折れてしまっただけでも、部品を探したりメカニックを現地に派遣したりなんだかんだ諸々で1週間とか平気で過ぎ去って行きます。
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ブルドーザーの調子が良ければ、運転手もこんな感じのハイテンションで作業をしてくれるので、見ていても気持ちがいいのですが、まぁどっちかっていうとそういう日は少ないわけです(イメージ写真に付き、実際の作業の様子とは一部違うことをご了承ください)
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で、ブッシュをブルドーザーで綺麗にするとこんな具合。

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あちこちに木の根っこや枝が散乱している状態なので、近所に住む農民を大量に集めて人海戦術で拾い集めます。
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こんな感じに
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それを燃やす。 この場合の天敵は雨。 そう、ここ東南アジアは雨季と乾季があるので、雨季に入ってしまうとあらゆる作業の効率が悪くなってしまうのです。(実際にその後雨季にずれこんで大変な目に合わされるわけですが、それは後述)
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ほんでもって、これがキャッサバの苗木。
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ここからいよいよキャッサバの作付けが開始されるわけですが、次回に続く♪

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文明の利器

今日はアンコール・チュムっていうシェムリアップ州の端っこに位置する農村に、農地面積の測量に行ってきた。

以前から何度かこのブログの記事にしているリム・チャ村のプロジェクトが、待てど暮らせど前に進む気配を見せてくれないので、我々で出来る新たなプロジェクトとしてこのアンコール・チュムの未開発地域を、農地として開発する事業を開始することにした。
(参照記事)
・ディズニーリゾート10個分(笑)
http://hugs-int.com/kengo/archives/1237
・危ういところ
http://hugs-int.com/kengo/archives/1264
こういう時こそ大活躍してくれるはずのJEEPさんは、さすがカンボジアクオリティーというべきか、よくわからない故障で入院中(笑)

仕方がないからスタッフのピルン号を借りて行くことにしたんだけれど、僕が一つ完全な勘違いをしていたお陰でえらい目に合った。というのは、てっきりピルンの車は見た目からして4輪駆動だと思ってだんだよね・・・ で、砂地の凸凹道に入っていったらすぐにスタック。よくよく聞いてみると前輪駆動車だった(笑) お陰で現地に着くまで何度も車をみんなで押したり引いたり、到着した頃にはヘトヘトになっていた。

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ようやく到着した現場は見事なまでのジャングルの中。
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ここからおよそ100haの土地の周囲を歩いて回りながらGPSで地点登録をしていくんだけど、僕はここで待機させていただくことにしました。念のため言っておくが、決してサボったわけではなく、万が一ピルンの車に何かあってはいけないのでその見張りをするためです。 誰がなんと言おうとそうなのだ。。。

ってなわけで、ここからはフィフォンくんが頑張ってくれた。こんな風に、まさに道なき道を歩きながら土地の境界にあたる目印を辿って行く。
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年に一度野焼きをするらしく、一歩中に入っていくとこんな感じの焼け野原が広がっていた(フィフォン談)
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これって多分100年前も、いや、もっとその前も変わらない風景なんじゃないだろうか。
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こんな場所が本当に農地になるのかとお疑いのみなさま、次の写真を御覧ください。
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こちらは今回のプロジェクトの真横に小じんまりと造られた畑ですが、綺麗に開拓すると全部こんな感じに仕上がります。

そして、土の状態を調べるフィフォンさん。かなり有機物が混じっていて良さそうだとおっしゃっていました。

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途中の小屋で休憩。 そこらにある木の実をもぎ取っておやつにしてしまうのは、カンボジア人にとっては日常の風景。僕にはどれが食えてどれが美味しいのかさっぱりわからないけれど、彼らは本当によく知っている。女の子も平気で高い木によじ登って木の実をもぎ取ってくるんだから、やっぱり彼らは自然と共生して生きているんだなと実感する。
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本当は今日、合計で400ha分の土地を計測する予定だったんだけれど、想像していたよりも遥かに大変な作業だということが判ったとともに、1日では到底終わらないということも理解できた。なので今日はこの一区画の計測のみで一旦シェムリアップに戻り、後日フィフォンとダラに泊りがけで来てもらうことにした。

ちなみにGPSで地点登録をしていった後は、機械をPCに接続すると自動的に区画の全景が表示されます。いやはや文明の時代だね~。全てのポイントを結んでいくと自動的に面積を測定してくれるし、周囲の距離ももちろん測定してくれる。

本日フィフォンが”道無き道”を歩いた距離、4.9キロ。 お疲れさまでした♪

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明けましておめでとう(2回目)

本日カンボジアは今年2度目の正月を迎えました。

みなさま明けましておめでとうございます!! 

ちなみに今回の正月はご存知のとおり中華正月(日本では旧正月)ですので、殆ど一般のクメール・カンボジア人には関係ないはずなのでありますが、見事なまでにみんな便乗してすっかり正月気分で盛り上がっております(笑)

で、本番はこの後4月に彼らクメール人最大の正月、3度目の正月がやってくる寸法になっていて、その時もやっぱりしっかり正月気分を『本番』として味わうことになってるわけでございます。 ちなみにカンボジアはこのころが年間を通して一番暑い時期になり、僕のような軟弱者はカンボジアに越してきたことを後悔することになる。 なので今のところのまずもっての目標は、この猛暑の4月・5月をカンボジアで過ごさなくてもいいようなビジネススキームを組み立てることにある(笑)

さてそんな正月気分とは裏腹に相変わらず孤児院の運営をめぐって、クレア家族を始めとする欧米連合とゴチャゴチャとやりあっていた。 理由の発端は前回の記事でも少し触れたネーヤンの処遇について。
(参照記事)
・孤児院の問題様々パート2
http://hugs-int.com/kengo/archives/1269

わからない人に説明すると、孤児院の子供ひとりが以前、不整脈によって病院に担ぎ込まれ入院した後オーストラリア人ボランティアのクレアの家に泊まったっきり、孤児院に帰って来なくなっていた問題です。 結局クレアがオーストラリアに長期休暇で戻っている間も『孤児院に戻ると心臓の調子がどうも』ってな理由でクレアの家に滞在し続け、その間の生活費が無くなると、クレアから僕に『大変申し訳ないけれどシェムリアップに戻ったら返済するから20ドルをネーヤンに届けて欲しい』とメール入ってくるって状態だった。

っていうか、どう考えても16歳やそこらの子供が心臓の調子が悪いのに、親権者である孤児院を離れて街中で一人暮らしとか絶対におかしいよね?

以前からこのことの問題をフィフォンにも指摘して(法的に既に問題だし)、いち早く孤児院に帰らせるように言っていたんだけれど、フィフォンとしてはクレアのご機嫌を損ねて支援金を打ち切られるのが怖いし、何となくクレアの様子伺いのような状況に陥っていた。

そんな折、僕にネーヤンから電話が入った。 『もうお金がなくなったのでいくらか届けてください』

ちょうど僕も風邪と熱でフラフラになってた時だったので『オレは今風邪で動けないから、今すぐフィフォンに電話しろ!絶対だぞ』と言って電話を切った後、すぐにフィフォンに電話をしてネーヤンに孤児院へ帰るか、もし孤児院で過ごすのが嫌なら自分の身寄りの家に行けと言えと伝えた。 このタイミングを逃せばフィフォンや理事長にゴチャゴチャ怒られたくないネーヤンは絶対にフィフォンに電話をしない。

フィフォンにその話を伝えられたネーヤンは案の定クレアに泣きついた。 なんて言ったのかは知らないが、まぁ子供だから自分に都合のいいことしか言わないに決まっている(笑) そこを別に責める気は無いんだけれど、それを聞く大人のほうが相手が子供だって事を割引いて聞いてくれなきゃ話が始まらない。

ところが今回はフィフォンばかりか僕にまでクレアの親父さんからお怒りのメールが届いた。 簡単に翻訳すると『病気のネーヤンに対して孤児院から出て行けとはどういう事だ!?こんな事をして孤児院のイメージがどうなるか分かっているのか? 考えを改めないのならこれもいい機会だ。 こちらも今後の支援金の使い道を含めて、クレアがシェムリアップに戻ってから別のオプションを選択することを検討する』

まぁ、ある意味思っていたとおりの反応だったのでちょっと笑ってしまったが、どうしてこう欧米の人たちはアジア人を知らないうちに下に見てしまうのだろう。 別に孤児院を出て行けなんて一言も言ってないし、そもそも万一のことがあったら孤児院のイメージに傷がつくどころか、大騒ぎになりかねないことをやってるのはそっちでしょって感じだ。

クレアはボランティアの先生若しくは孤児院の金銭的支援者の一人であって、孤児の親権者でもなけれは孤児院の運営者でもない。 そんな彼女の家に病気の未成年の男の子を一人で滞在させている危険性は微塵も感じていないばかりか、またしても『言うことを聞かなければ支援金について考えがある』という言い回しだ。

どうしても『我々がこんなにまでしてやっているのに、お前たちが言う事を聞かないのなら・・・』という考え方が根っこにある。 僕に言わせれば子供達と生活できなくなって一番困るのはクレア自身だ。 だから孤児院の支援金というより、クレアのボランティア留学の費用を支払っているようなもんじゃないかと思うんだけど、絶対にそうは思ってくれそうにもない。

親父さんからのメールを読んで、腹がたつけれど支援を打ち切られるようなことになったら孤児院が大変だしと青くなってるフィフォンに、『心配するな。 そんなに孤児院の関係者が信用できなくて、支援を打ち切りたいのならご自由にどうぞと言ってやれ。 お前が出来ないのなら僕がメールしてやる』と言って、親父さんに返信した。

いや、もうその内容はフィフォンに伝えたそのままにプラスして、今クレアがやっていることは明らかに違法行為であること。 クレアの自宅でネーヤンに万一のことがあれば、孤児院の理事長とクレアに大きな問題が降りかかってしまうこと。 ここはカンボジアであって我々の国ではないことなどをガッツリと書き込んだ。 ちなみにちゃんと捨て台詞で『僕は金の力で人をコントロールしようとする人が一番キライです』とも書いておいた。

なんだか長くなってきたので続きはまた次回♪

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