明けましておめでとう(2回目)

本日カンボジアは今年2度目の正月を迎えました。

みなさま明けましておめでとうございます!! 

ちなみに今回の正月はご存知のとおり中華正月(日本では旧正月)ですので、殆ど一般のクメール・カンボジア人には関係ないはずなのでありますが、見事なまでにみんな便乗してすっかり正月気分で盛り上がっております(笑)

で、本番はこの後4月に彼らクメール人最大の正月、3度目の正月がやってくる寸法になっていて、その時もやっぱりしっかり正月気分を『本番』として味わうことになってるわけでございます。 ちなみにカンボジアはこのころが年間を通して一番暑い時期になり、僕のような軟弱者はカンボジアに越してきたことを後悔することになる。 なので今のところのまずもっての目標は、この猛暑の4月・5月をカンボジアで過ごさなくてもいいようなビジネススキームを組み立てることにある(笑)

さてそんな正月気分とは裏腹に相変わらず孤児院の運営をめぐって、クレア家族を始めとする欧米連合とゴチャゴチャとやりあっていた。 理由の発端は前回の記事でも少し触れたネーヤンの処遇について。
(参照記事)
・孤児院の問題様々パート2
http://hugs-int.com/kengo/archives/1269

わからない人に説明すると、孤児院の子供ひとりが以前、不整脈によって病院に担ぎ込まれ入院した後オーストラリア人ボランティアのクレアの家に泊まったっきり、孤児院に帰って来なくなっていた問題です。 結局クレアがオーストラリアに長期休暇で戻っている間も『孤児院に戻ると心臓の調子がどうも』ってな理由でクレアの家に滞在し続け、その間の生活費が無くなると、クレアから僕に『大変申し訳ないけれどシェムリアップに戻ったら返済するから20ドルをネーヤンに届けて欲しい』とメール入ってくるって状態だった。

っていうか、どう考えても16歳やそこらの子供が心臓の調子が悪いのに、親権者である孤児院を離れて街中で一人暮らしとか絶対におかしいよね?

以前からこのことの問題をフィフォンにも指摘して(法的に既に問題だし)、いち早く孤児院に帰らせるように言っていたんだけれど、フィフォンとしてはクレアのご機嫌を損ねて支援金を打ち切られるのが怖いし、何となくクレアの様子伺いのような状況に陥っていた。

そんな折、僕にネーヤンから電話が入った。 『もうお金がなくなったのでいくらか届けてください』

ちょうど僕も風邪と熱でフラフラになってた時だったので『オレは今風邪で動けないから、今すぐフィフォンに電話しろ!絶対だぞ』と言って電話を切った後、すぐにフィフォンに電話をしてネーヤンに孤児院へ帰るか、もし孤児院で過ごすのが嫌なら自分の身寄りの家に行けと言えと伝えた。 このタイミングを逃せばフィフォンや理事長にゴチャゴチャ怒られたくないネーヤンは絶対にフィフォンに電話をしない。

フィフォンにその話を伝えられたネーヤンは案の定クレアに泣きついた。 なんて言ったのかは知らないが、まぁ子供だから自分に都合のいいことしか言わないに決まっている(笑) そこを別に責める気は無いんだけれど、それを聞く大人のほうが相手が子供だって事を割引いて聞いてくれなきゃ話が始まらない。

ところが今回はフィフォンばかりか僕にまでクレアの親父さんからお怒りのメールが届いた。 簡単に翻訳すると『病気のネーヤンに対して孤児院から出て行けとはどういう事だ!?こんな事をして孤児院のイメージがどうなるか分かっているのか? 考えを改めないのならこれもいい機会だ。 こちらも今後の支援金の使い道を含めて、クレアがシェムリアップに戻ってから別のオプションを選択することを検討する』

まぁ、ある意味思っていたとおりの反応だったのでちょっと笑ってしまったが、どうしてこう欧米の人たちはアジア人を知らないうちに下に見てしまうのだろう。 別に孤児院を出て行けなんて一言も言ってないし、そもそも万一のことがあったら孤児院のイメージに傷がつくどころか、大騒ぎになりかねないことをやってるのはそっちでしょって感じだ。

クレアはボランティアの先生若しくは孤児院の金銭的支援者の一人であって、孤児の親権者でもなけれは孤児院の運営者でもない。 そんな彼女の家に病気の未成年の男の子を一人で滞在させている危険性は微塵も感じていないばかりか、またしても『言うことを聞かなければ支援金について考えがある』という言い回しだ。

どうしても『我々がこんなにまでしてやっているのに、お前たちが言う事を聞かないのなら・・・』という考え方が根っこにある。 僕に言わせれば子供達と生活できなくなって一番困るのはクレア自身だ。 だから孤児院の支援金というより、クレアのボランティア留学の費用を支払っているようなもんじゃないかと思うんだけど、絶対にそうは思ってくれそうにもない。

親父さんからのメールを読んで、腹がたつけれど支援を打ち切られるようなことになったら孤児院が大変だしと青くなってるフィフォンに、『心配するな。 そんなに孤児院の関係者が信用できなくて、支援を打ち切りたいのならご自由にどうぞと言ってやれ。 お前が出来ないのなら僕がメールしてやる』と言って、親父さんに返信した。

いや、もうその内容はフィフォンに伝えたそのままにプラスして、今クレアがやっていることは明らかに違法行為であること。 クレアの自宅でネーヤンに万一のことがあれば、孤児院の理事長とクレアに大きな問題が降りかかってしまうこと。 ここはカンボジアであって我々の国ではないことなどをガッツリと書き込んだ。 ちなみにちゃんと捨て台詞で『僕は金の力で人をコントロールしようとする人が一番キライです』とも書いておいた。

なんだか長くなってきたので続きはまた次回♪

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明けましておめでとう(2回目)」への10件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    体調の悪い中、色々とお疲れ様です。。
    自分も複数の不整脈持ちということもあり、この件は心配です。
    不整脈の種類と重症度(医師の診断)にもよるでしょうが、一般的には急に倒れる・意識を失うような不整脈で、恒久的な治療を受けていないのなら、極力1人暮らしは避けた方がいいはずなので。
    (普通は、本人が(1人の時倒れたら…)と心配に思いそうな気もしますが(自分も一時期そうでした))
    本人が言う孤児院で調子が悪くなる原因(集団生活による騒音なのか、ストレスなのか、など)がわかれば、孤児院で対処できるかどうかがわかり、今後どこで暮らすのが良いかの判断材料になるかもしれません。
    それにしても、クレアさん一家の見解・行動は、不可解ですね…

  2. SECRET: 0
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    『我々がこんなにまでしてやっているのに、お前たちが言う事を聞かないのなら・・・』
    ここです!
    僕もこの考えが本当に納得できません。
    ~してやっているのに・・・という目線を持った時点で、一旦は関わるの辞めるべきなんじゃないかなと思うぐらいですね。
    クレアさんも誰のために、何のためにやっているのか、を考え直す時期のように思えます。
    決して行っていること自体は悪いことでは無いですが、相手は子どもと言えど、彼らが見下すアジア人であろうと人間です。
    ペットでは無いんですよね。
    いつも参考にさせて頂いています。
    ありがとうございます^^

  3. SECRET: 0
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    >わらわら@HSPさん
    クレアは完全に理事長を否定してしまっているので、全てのボタンの掛け違いはそこから始まってしまっているように思います。 普通に考えればネーヤンを孤児院に帰らせている立場のはずのクレアが、理事長のそばに居させたら調子が良くならないと言うふうに考えてしまう・・・
    それにネーヤンからしてみても、孤児院に比べればベッドにエアコンにテレビに温水シャワー、冷蔵庫が完備されたクレアの部屋のほうが快適に決まっていますしね。 口うるさく怒られる親父(理事長)もそばにいませんし(笑)
    不整脈自体に関しては心配なのできちんと病院で診させなければなりませんが、いずれにせよ何かあればすぐに対応できる大人がそばにいなければならないのは絶対ですよね。
    わらわらさんも、くれぐれもお体に気を付けられてくださいね!!

  4. SECRET: 0
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    >TAKAさん
    確かにペット扱いというのが一番正しい捉え方なのかも知れない(笑)
    だから色々と大切にしてはもらえるのだけれど、決して同じ土俵に立つということは無いという・・・
    これってもうそれぞれの人の根本的な(というか無意識下の)考え方の部分なので、いくら説明しても分かり合える気がしないってのが正直な思いなんだよね。 
    彼ら自体いい人達であることも、これ又間違いのない事実でもあるし。
    だからゴチャゴチャ言ってくるのは上手くあしらいながら、ある日突然「じゃあもう何もしてくれなくていいよ」って言わせられるようにしたいと、そればっかり考えてやってます(笑)

  5. SECRET: 0
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    >acky(東南アジアに焼き鳥屋出店計画中)さん
    見下してるというより、こちらの実力や考え方をしっかりと見せないと「見くびってくる」というのが実際のところなんだけれどね。
    嫌が上でも英語が世界共通語である以上、俺達は既に言葉のハンデを持っている。だから中途半端に英語覚えても一生勝てない。語学なんていつでも誰でも使えるようになるんだから、そんなことよりも別の部分で彼らに「こいつスゴイな」と思われるようなスキルなりなんなりを身につけるべきだろうね。

  6. ピンバック: 本当は変わってほしくない? | 北浦健伍の「僕、カンボジアに住んじゃいました」

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