本当は変わってほしくない?

さてと、昨日の続き。。。
(参照記事)
・明けましておめでとう(2回目)
http://hugs-int.com/kengo/archives/1274

最初に断りを入れておくと、今回クレアの家族がまるで悪者のようになってしまっているけれど、実際のところ彼女たち一家は本当にいい人達ばかりだ。たまたま今回はクレア一家と孤児院の問題がすごく分かりやすい例なので取り上げさせてもらったけれど・・・

ちなみに僕は英語を書くのがひじょーに苦手だ、というか面倒くさいから嫌いです(笑) なんでかって言うと、ものすごく英語のスペルを間違いまくるから。 最近のコンピューターは優しいから、スペルを間違えるとその単語の下に『間違えてますよ、お前』という印に線を引いてくれる。 僕の場合、書いた尻から軒並み単語の下が線だらけになるから、なんて言うか書いてる最中に自分が嫌になってくる(笑)

そんな僕に熱風邪で最高潮に体調が悪いときに英文メールを書かせたんだから、フィフォンのヤロー高くつくからな、とか思ったりしながら頑張って書いたメールは、上手く相手の心に通じてくれたようだった。 すぐさまクレアと親父さんと双方から僕に返信されたメールには、口々に勘違いの謝罪と支援の打ち切り等を考えたりしていないこと、そしてネーヤンをいち早く孤児院に戻してくれるようにとの内容が書かれていた。

最終的に理事長の判断で、クレアがいつも使っている運転手に対してネーヤンとの宿泊許可を発行してクレアの自宅に迎えに行かせ、病院で実際のところ心臓の具合がどうなのか再検査に行かせる。 その後も病院に通院しなければいけないようなら、通院するのに距離的に身体に負担が掛かる孤児院ではなくその運転手の家に泊まることも視野に入れる決定をくだした。 これでようやく『病気で未成年の孤児』が街中の親権者以外の家で一人暮らしをしている、というとっても変な状況を終了させることが出来た。

これにともなってスイスのサラとポールにも内容を説明するためにメールを送ったのだけれど、彼らもまた孤児院の運営者に対して色々な不満を持つ人々でもある。 昔はもっとみんなピュアだったのに今は理事長一家もあまり孤児院の運営に力を集中していないし、子供達のこともほったらかしだというのが彼らの意見だ。 そのことについて今晩Skypeで話をすることにしているが、その前に僕の思うところを書いておきたい。

彼らが初めて孤児院を訪れた3年前と今を比べるのがそもそもの間違いなんだけれど、どうしても彼らは『変わってもらいたいけれど、本当は変わってほしくない』という思いを、カンボジアに対していだいてしまっているみたいだ。

で、まず第一に3年前と今と決定的に違うのは、ティーンエージャーが当時はいなかったって事だ。 カンボジアの田舎に住む、外国人とロクに触れ合ったりもしたことなかった子供達が、英語を学び年間1000人以上の外国人と接しながら、今や素朴なガキだった彼らも立派なティーンエージャーになってきた。  英語を教えにきてくれた外国人ボランティアの若者たちは、多感なティーンエージャーになろうとしている子供達にとって、あまりにも刺激的な新たなカルチャーを持ち込んできたのも事実だ。

たった一人のティーンエージャーですらも手に負えなくなってしまう家庭が世の中にはゴマンとあるのに、ここには10人単位のティーンエージャーが一気に誕生している。 しかも文化、文明、語学の壁を一気に飛び越えた存在の超新人類だ。

もちろん変わっていくのは子供達だけではない。 それを取り巻く大人たちも又、今まで見たことも無かった世界の話に接し、自分たちも夢を見たり背伸びしたりするようになるのは当然の成り行きだ。 ところがそうやって、彼らが変化を求めだすと欧米の支援者は意義を唱え出す。

『以前の孤児院はもっとピュアだった』と・・・

その他にも孤児院を訪れるボランティアスタッフから出される不満も枚挙に暇がない。 孤児院の運営体制が整っていない、教育カリキュラムが整備されていない、資金使途が不透明だ、子供達にもっと気を配るべきだ、エトセトラetc…

っていうか教育カリキュラムを自分たちで作ってしっかりと運営していけるのなら、ボランティアなんかいらないじゃないのか? 孤児院の運営体制を彼らが主張するように整えようと思ったら、もっと専属スタッフの人数が必要になるけど、その費用はいったい誰が負担するの? 今ですら赤字運営なのに資金使途が不明も糞もあったもんじゃないよね、そもそも足りてないんだから(笑) ってな感じです。

しかも欧米諸国はどうだか知らないけれど、カンボジアはまだまだお父さんお母さんが絶対権力者の国です。 子供がどんなに理屈をこねようが、両親がダメって言ったらダメ。だから孤児院の絶対権力者は理事長で、僕たち外野がそこに逆らったり(しかも子供達の味方をしたりして)する度に、このカンボジアの不文律を犯してしまっていることに気がつかなければならない。反対に僕たち外部の人間が、理事長を素晴らしいお父さんに仕立て上げることが出来れば、子供達はお父さんの言う事をよく聞くようになるだろうし、そうやって理事長をいつも立てていれば、こちらが間違いを指摘したときに理事長も素直に話を聞いてくれるってもんだろう。そういうのって欧米人上手そうなのになって思うんだけれど、やっぱそういう風にしないのは『我々が助けに来てやっている』という考え方が根底から抜けないからなんだろうなぁ・・・

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本当は変わってほしくない?」への4件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    以前仰っていた、「カンボジアが貧しくないと困る人達がいる」ということを思い出しました。
    こうやって見ると、子どもにとって親の存在や先生の存在って本当に本当に重要ですね。
    もちろん僕もCOSOにとっては外部の人間なわけで、外人なわけです。
    自分で、よく知らない国の人が突然やってきて、お菓子あげるからその代わり言う事きかないと怒るぞ、って言われることをイメージするとすごく不快です。
    そうなってはならない事を改めて感じました。
    当たり前のことなんですけど、結局上から目線で忘れがちになっている自分が情けないです。

  2. SECRET: 0
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    >TAKAさん
    なんだかんだ偉そうなこと言ってみても、シェムリアップなんて数年前まで無茶苦茶なド田舎だったわけで、我々と常識が全く違って当たり前だよね。 特に子供はなんにでも順応するけれど、大人はそう簡単には変われない。
    ウチなんかの場合、理事長にいきなりそんな西洋文化を理解しろなんて言っても無理なわけだし、それを理解しない理事長が悪いわけでも何でも無いよね。 っていうかそもそも理解する必要すら無い、ここは彼らの国、彼らの地域なんだから・・・
    例えば俺達がニューヨーク行ったとして、そこに暮らしている最先端の事業家にいきなり「もっとこうあるべきだ」なんて説教しないはずなんだよね。
    ってことはその事業家に対してしないことはカンボジア人にもしないべきだし、反対にカンボジア人にするのなら、同じことを上記の事業家にするかを考えて見れば、知らず知らずに自分の取っている立場がすぐに確認出来る。
    どんな立場の人間だって、持ってるプライドの量はさほど違わないんだから、と思います。

  3. SECRET: 0
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    お久しぶりです。お体の調子は、いかがですか?
    今回の記事を読んていて、世界中のどこの地域だって、ティーンエイジャーの時期は「大人」が手に負えなくなってくるのだと、しみじみ思いました。
    欧米だとかアジアだとか、都会だとか田舎だとか関係なく、一人の人間の成長過程として子供たちに向かい合い、そちらの習慣に合わせた孤児院で教育や運営ができたらいいな~。と思いました。(親の権力は絶対的だ!ということ前提に)
    その場にいないのに、外野から偉そうなこと言ってしまって、ごめんなさい!できたら、苦労はないですよね・・・

  4. SECRET: 0
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    >上村 真衣さん
    体調はようやく咳もおさまり万全の状態に戻ってきました。
    仰る通りティーンエージャーが大変なのは世界共通だと思います。大人たちが子供達の成長過程に付き合う他に方法がないんだろうなと思っているのですが、その時に子供と同じ立場に立って大人(親や先生)を非難し始めてしまうと収集が付かなくなります。
    子供の言い分を聞いて自由にさせつつ、絶対にはみ出てはいけない枠組(これは国や地域・文化によって違います)をしっかりとコントロールする。
    まぁ、そんなに簡単にできれば世界中どこの親も苦労しないんだろうけれど・・・(笑)

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