去年の夏ころに日本のNGO団体の人から『シエムリアプに旅行する人に文房具を持たせて孤児院に寄付したいので、場所などを教えて欲しい』という要請があった。このNGO団体は旅行者に文房具を託すことによって、送料を掛けずに現地まで届けるということを狙いに活動しているそうだ。
ただうちの孤児院の場合、おかげさまで文房具や洋服といったようなモノはあちこちから寄付を貰っていて、正直に言って余り気味なので他の孤児院かフリスクールを紹介しますと伝えさせてもらっていた。結局その時はどうやらスケジュールが合わなかったようで、また次の機会にってなことになっていたんだけれど、この度またこちらに旅行者の方が来るということで連絡をもらった。
今回は国際協力学生団体がこちらに来るので、ぜひとも文房具を届けさせて欲しいということだ。
早速フィフォンやピルンを始めとした何人かのフリースクールを運営している連中に聞いてみたんだけれど、みんな文房具は充分に間に合っているってことだった。どちらかというと過剰に支給されることがあって子供達が大切に使わないこともあるから、本当は自分たちで購入させたほうがいいってな意見もあった。
で、こんなやりとりをしていると、ここでふとした疑問が湧いてきた。どうして文房具限定なんだろう?
例えば鉛筆を貰っても、腹が減っても食えないし、寒さを凌ぐことも出来ない。 さらには風邪をひいたって薬の代わりにもなりやしない。 鉛筆は鉛筆以上の働きをしてくれない。 ところがもし、この文房具を購入するのと同じだけの現金を渡されたとすれば、その時一番必要とされるもの(それは鉛筆かも知れないし、薬かも知れないし、米かも知れない)に自分たちの裁量で交換することができる。
この自分たちの裁量で最適なモノを購入するという選択権を、彼らに渡してやることは何か問題があるのだろうか?
それにこの文房具にしたって、日本で購入して旅行者が持ってくるのは確かに送料が掛からないという利点はあるけれど、それならいっそ現地で購入したほうが遥かに価格が安いからたくさんの量を買い揃えることも出来るし、現地で商売している人の懐も潤うことになる。 世界中どこの貧困国だって一番効果を発揮するのは『外貨を稼ぐこと』なんだから。
どうして日本で購入して現地に持ち込まなければならないのだろう?
せっかくの機会なのでこのNGO団体の担当の人にも率直な僕の疑問や意見として、上に書いたような内容を伝えさせてもらうと共に、今回の文房具の寄付の申し出は辞退させてもらうことにした。 少なくともうちよりも、もっと文房具を必要としているところに届けて欲しいと思うから。
さらに、このNGO団体とは関係ないことなんだけれど、最近旅行者などがちょっとした支援物資(お菓子とか服とか文房具とか)を孤児院などに持参して、それを手渡しているところを記念撮影。 更には子供達全員を集めて記念撮影を行い、その後Facebookや自分たちのウェブサイトに写真を貼り付けるという行為に対して、子供達のプライバシーや肖像権を完全に無視した行為をやめさせるべきだとの意見も言われ始めている。
まぁ僕は別に写真を撮るなとは思わないけれど、100ドル程度の何かを購入して持ってきて、それを手渡しているところとかをバチバチと写真に撮るという行為と、動物園で餌を購入して餌付けしているところをバチバチと写真を撮る行為との境目がよくわからない。 どっちも根本的には同じだよね?(笑)
ってな訳で、子供達と一緒に写真を撮ろうって人(特に集合写真を撮りたいなんて人ね)は、『彼らがどんなに貧しい子供達であって、あなたがどんなに素晴らしい支援者であったとしても、彼らには日本やアメリカの子供達と同じように肖像権やプライバシーは存在する』って事だけは、ちょっと頭の片隅においておいてほしいなと思います。
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日本人の価値観なんでしょうか?
例え、どこの国に行こうが、日本人のお金に対する
価値観が変わらないので
現金支給はダメっていう法規制に基づいたり、
お金を渡しても、何に使ったか解からないとか、
結局の所現金は自分達も必要で渡すのに躊躇いがでるんじゃないですか?最終的には、自分の為。自分がイイことしたという結果が欲しい。自分達より、完全に下に見て鉛筆でいいだろう、とかになってイイことした気になっているんだと思います。やっている事とっている行動はもちろん否定はしませんが。
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携帯から目を凝らして(薄字の部分を)読みました。(^_^;)
文房具は、新品でしょうか?
(最近90%以上残っている鉛筆・消しゴム募集という団体を見かけましたが…)
仮に新品だとして…文房具は、現地の人にとってというより、援助する側にとって費用対効果(効果=イメージ・満足感を含む)が高く、かつ、多くの人に参加・寄付してもらえる(=それをきっかけに会員になってくれる人もいる=会員を増やす広報的な側面もある)のかな?と思いました。
いい方に想像すると、子供が寄付に関わっていて、子供でも買えるもの=文房具という例もあるのでしょうが、いずれにせよ、コントロールしているのは、大人なのでしょう…
また、最近の日本のタイガーマスク現象などを見ても、お金より(自分の選んだものを)贈りたい&お金を贈るのに抵抗があると思う人が多いんでしょうね。
タイガーマスク運動で、養護施設に一部の物(ランドセルなど)が多く集まりすぎたのを踏まえて、きちんと受けて側の要望を聞いてから贈るものを選ぼう、という意見も増えてきたり、受け手と送り手との間の(要望)マッチングサイト(→おねがいタイガー!とかいう名前のサイト)もできたみたいです。
孤児院のホームページにも、足りているもの、足りないもののリストを簡単に載せておくと、ミスマッチが減らせる&実際のニーズが援助側に伝わるかもですね。
(シェムリアップで宿屋経営+孤児院の現地ツアーをされているカンボジアの方も、mixi日記で、そのリストを書いていました…やはり文房具は足りているようです(^_^;))
実際の支援内容が変わるには、意識改革も必要ですが。
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>acky(東南アジアに焼き鳥屋出店計画中)さん
基本的に人間っていう生き物は、人に自慢したい生き物だし(もちろんオレもそう)、すべての行動は最終的に自己満足だと思ってる。
そもそも他人のために自分を犠牲にするなんて嘘だし、もし自分を犠牲にしているのなら、それは自分を犠牲にしていることに酔っている、即ちそれすらも自己満足だと思うんだよ。
で、オレが言いたいのはどうせ自己満足のために、人に自慢するために行動するのなら、もっともっとレベルの高い行動をしようよってことなんだよね。アッキーの言うとおり、やっている事、とっている行動自体を否定するわけでは無いんだけれど、「そんな中途半端なことで満足したり、自慢したりしちゃっていいの?」ってことが言いたいわけ。
根本的な部分は素晴らしい考えに基づいての行動や企画なんだから、余計に残念に思ってしまうんだよなぁ・・・
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>わらわら@HSPさん
えっ?薄字になってますか?なんでだろう??
読みにくくてゴメンナサイm(_ _)m
今回の文房具が新品だったのかどうかは分からないのですが、「日本で不要になった文房具」という括りですので、もしかすると使用した形跡があるものも混じっていたのかもしれません。
確かに参加者をたくさん募る、入り口のハードルを低くして、より多くの人に興味を持ってもらうというような活動も大切なのかもしれませんね。
>お金より(自分の選んだものを)贈りたい&お金を贈るのに抵抗があると思う人が多いんでしょうね。
まさに仰る通りだと思います。日本人の心のどこかに「お金」に対する嫌悪感があるんだろうと思います。 以前、金融機関に勤めていた僕の友人が女子大でお金に関する講義をしたところ、殆んどの学生が「お金は汚いものだ」という意見に賛成して、驚きを隠せなかったと言っていました。
頑張って稼いだお金を有効に使う方法を学ぶ。お金は決して汚らわしいものでも、イヤラシイものでも無くて、上手く使えばとても大きな力になるんだ、といったような部分からの意識改革こそが、今後の日本のためにも必要なんじゃないかなと感じました。
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やっぱり、第三者にパクられ易いし、ちゃんと直接子供たちに現金のまま行き渡ったとしても、お金を恵んでもらうことに馴染んだら良くない。(実際、喜捨した国へ行ってみると、凄いことになっちゃってるし。)だから、寄付は文房具、医療、井戸とかに限定されていると、財布を開けやすい、ってのもあるでしょう。でも、医療系は関係者じゃないと、とてもお高いし、井戸はそれこそ仲介の方がボッているって話しだし。。日本で買うのは、領収書が出るから寄付した人たちに会計報告しやすくて、中古なら尚更寄付した人たちの猜疑心をあおることもない。写真をバシャバシャは、きっと渡した証拠でしょう。
現金を寄付したいのはヤマヤマだけど、問題も山なりだからだと思います。
国単位の援助とかもねぇ、、、、って気持ちありますやん。。。。
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>JASミンさん
いや、まさに仰る通りなんですよ。本当にそうなんです。
実際に井戸掘りなんてボッタクリが横行していますし、っていうか寄付金とか集めてる連中のどれだけがマトモなのかもさっぱりワカリマセン。で、そんなに相手のことを疑ったりしなけりゃいけないとかなら、別に無理して支援とかやんなくてもいいんじゃないの、と思ってしまったりもするわけです。
しょせん誰かを支援したり援助したりするっていうのは、自分がやりたいからやるわけで、それに無理やり他の人からも援助してもらおうとか思うから、どんどんややこしくなってくわけで、自分だけでできる範囲のことを責任持ってしっかりやれば、こんな頓珍漢なことにならなくていいのにと。
それにもちろん物資の支援も全て悪いと言ってるわけでもないんですよ。今のカンボジア、しかも観光客が多く集まるシェムリアップ近郊にはほぼ必要ない、ということを分かってもらったほうが無駄もなくなっていいなぁと。
っていうか、そういう支援の窓口をやっている団体の人が、日本に居ながら全く現地の実際を知らずに、僕達にメール一本でどこか紹介してくれとか言ってくるのも、やってる意味あるのかなと思ってしまいます。