常識からの自由

さて、本当にありがたい事に昨日と今日の2日間に渡って、これからの日本を背負っていく若い世代の人達に話をする機会を提供してもらうことができました。

この経験は、自分の話を相手に聞いてもらう以上に、今の人達がどのように考え行動しているのかを聞く事ができる、またとないチャンスでもあった。 今回は大学生を中心とした20代前後の人が多かったわけだけれど、本当に僕がその年齢だった頃に比べてしかっりとしているし、社会のことや生き方のことなど色々な事を考えているな、と感心するばかりだった。そんな素晴らしいみんなに僕が話をさせてもらったメインのテーマは、弱者保護と自由についてと、本質を問い続けることの大切さだった。

その中でも特に最初、みんな『自由』ということについてうまく理解ができていないようだった。 どうもみんなの中では『自由=傍若無人』というようなイメージが合ったのかもしれない(笑)

本来の意味で言う自由とは、何者にも縛られない自由な思考だと僕は思っている。それならみんな出来ているよ、と思っているかもしれないが実は案外これが難しいのです。人は生まれた地域や環境、教育によって様々な『常識』という枠組みが作られていく。

この常識という枠組の恐ろしいのは、自分がその中に縛られているということを全く意識しないことが一つ。もう一つは、その常識から外れた答えを頭ごなしに否定してしまうということだろう。

だから殆んどの人々はいつも、この『常識の枠組みの中』でのみ自由に思考している。25メートルプールの中で泳ぎ回って、オレは自由だと言っているのと何ら変わらないという事です。で、その常識の枠組を外すためにはどうすればいいのか。簡単に言うと自分が非常識だと感じるところに身をおいて、非常識だと思っていたことも常識の枠の中に入れる。

即ち自分の常識の範囲を広めるということですね。僕がみんなに海外に出るように勧めるのも、これが大きな理由の一つでもある。

いつも海外に出ることや移住することを勧めると「私は日本のことが好きだから、今のままで結構です」という様な答えが帰ってきて、非常に残念な思いをすることがある。 僕としては日本のことが好きかどうかさえも自分の枠組みを一度リセットして考えて、それでもなお日本のことが好きなのであれば、それでようやく『日本が好き』ということを堂々と公言できるようになるのではないのか、と思うからだ。
だから今回僕がお話させてもらった人たちには、ぜひ一度自分の正しいと思うこと、当たり前だと思っていることすらリセットして、もっと自由に常識外れな思考ができる『変人』になって欲しいと心から願っています。

そしてこの自由な思考で物事の本質を問い続けることで、目的に向かってあらゆる手段を講じることが出来る『変幻自在のトリックスター』として、これから先どのような場面でも人生を謳歌出来るようになるはずだ。

最後になりましたが、正大さん、由美ちゃん、貴重な機会を本当にありがとうございました!

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ナショナリズム

えーっと、なんでも3000人以上にも上る人々が尖閣諸島の問題で、中国大使館を囲んだらしいね・・・ で、これって一体どんな人が主催してるの?? その中国大使館を包囲したからって、一体何が起こることを目的としているの?? 中国でも日本大使館が包囲されたり国旗を焼かれたりしてることがあるけど、僕はそれを見て『馬鹿だね~』くらいにしか思わないんだけれど、それって異常なんだろうか?(笑)

言っておくけど僕は日本が好きだし、日本人としての誇りも持っているつもりだから、日本の外で「やっぱジャパニーズスゲー」って言われるように頑張ってるつもり。 少なくとも「ジャパニーズ馬鹿だね~」とは思われたくないしね。

で、こういった行動をしている人たちが、本当に日本のことが好きだったり愛国心ってモノを持っていたりするんなら、その中国大使館に行って罵声を浴びせたり、観光バスを取り囲んで威圧したりする精力を、もうちょっと違う形で使ってみたらどうだろうって思ったりするんだけれど。

さて、ちょっと斜に構えた見方になるのかも知れないけど、日本や中国がモメればモメるほど利益が生まれる人々が、この世の中には存在することも忘れてはいけないと思う。 漁夫の利というようなまどろっこしいものではなくて、もっと直接的に日本の防衛予算から支払われる莫大な金が懐に転がり込むことになる人達が存在する。 自分たちで「中国と戦争だ!」とかなんとか言うのは勝手だけれど、それをやればやるほど『そんなことを言っている自分たちの懐から金が無くなっていく』ということも理解しなければならないと思いますよ、僕は。

大体いつだって戦争を始めるのは政府で、身も心も懐も傷付くのは全て国民。今一度、妙なナショナリズムに目覚めて、戦争も辞さないというような事を言ったり思ったりしている人々は、それで一体本当は誰が得することになるのかをよく考えてみたほうがいいだろう。  ふとんの販売ですら洗脳や催眠商法を駆使するような連中がいる世の中なのに、もっとでかいビジネスである武器の販売にそのような手段を使ってこないと考えるほうが合理性を欠いているんだから・・・

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尖閣諸島問題と平成維新

昨日、例の尖閣諸島の問題で逮捕されていた中国人船長が、限りなく政治的な判断によって起訴猶予処分となり釈放された。 ホリエモンや村上ファンドのような『やったかやってないか分からない』ような事件はしゃかりきになって立件し、このように明らかに見ただけで判断できる事件を立件しない、という2重基準を白日のものにさらけ出してしまった今回の代償は大きいよね。

で、ツイッターなどではこの件に対する世間の怒りはかなり大きく、みんなが政府の弱腰外交を非難すると共に、平成の坂本龍馬の登場や、平成維新待望論のようなものが巻き起こっている。ではここで、もし今『坂本龍馬がこの平成の世に居たら』一体どういう平成維新の足がかりを付けただろう、という推測をしてみた。

そもそも幕末期において坂本龍馬の最大の功績は『薩長同盟』を実現したことに尽きるだろう。当時の人々の頭の中で言うところの『お国』とは、『藩』のことである。今みなさんが想像している『日本という一つの国』という形が出来上がったのは明治になってからであって、それまでの世間の常識は自分の藩が国であったわけだ。その中でも薩摩と長州は犬猿の仲、戦争することはあっても同盟を結ぶなんてこともなければ、そんなこと危なっかしくて口にすることも想像することも出来なかったはずだ。

同じ日本人同士なのにそんな馬鹿な話、と思わないだろうか?今で言うところの鹿児島県と山口県が互いに罵り合って、殺し合いをしていた訳なんだから・・・

江戸幕府が日本を収めていたというけれど、当時の江戸幕府の存在は今で言うところの『国連』、もしくは『アメリカ』といったようなイメージかも知れない。この江戸幕府の政治、やり方に『No』を突きつけ新しい世界を創るために、犬猿の仲だった別々の国をひっつけて一緒に戦わせるという、常識はずれの荒業をやってのけたのが坂本龍馬である。

で、この当時の状況を今の時代に当て嵌てみれば、一体どんな状況が見えてくるだろうか?同じアジア人同士が犬猿の仲で罵り合って、殺し合いになりかけていないだろうか?同じ肌の色、同じ黒髪、似たような文化、同じような文字を使っている国に住む人同士が、まさに当時の薩摩と長州のようになってはいないか?もし平成の坂本龍馬が平成維新を行うとすれば、日中同盟をやってのけ、アメリカ型支配からの脱却のために戦いアジア新政府設立を夢見ただろう。

今回の尖閣諸島の事件に関しては、もちろん日本という法治国家が存在する以上、自国の領海内で起きた事件に関して、他国の干渉によって判断が狂わさせたということは由々しき事態である。でも、このタイミングだからこそ、みんなが無意識に口にする『日本』というものは一体なんなのかもう一度考えてみて欲しい。『日本』という言葉と概念の中で思考停止してはいけない。法律をねじ曲げ、人々の命を危険に晒し、多額の軍事予算をかけてまで守らなければならない国家とはなんなのか? 国土なのか、国家権力なのか、日本で生まれ育った人々の集合体のことなのか・・・ 一度みんなにこの『日本』という枠組みから外れ、さらに高い抽象度で考えてみて欲しい。そうなった時にこそ本当の解決方法が見つかるはずだ。

日本も中国もなければ『そもそも今回の事件は起こらなかった』のだから・・・

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