土地境界線と国境線

日本のそれとは比べ、著しく境界線が曖昧なカンボジアの農地では、ちょっと気を抜くとすぐに横の土地の持ち主が勝手に境界線を数十メートルもはみ出して自分の作物を植え始めたりする。もちろん見つけ次第すぐに地域の長に報告してから、相手の作物を抜き去り、勝手に移動された境界杭を元に戻したりするのだけれど、時にはその場に居合わせた相手との間に不穏な空気が流れたりすることもある。

もちろん誰だってトラブルは嫌だけれど、理由も無く自分の財産である土地を勝手に持っていかれるようなことは避けなくてはならない。幸いにもお互いに武器を持っていない一般人同士だから、今のところ大きなトラブルに発展したことはないが、自分の土地を守るという当たり前の行為に違和感を感じる人は居ないと思う。

ところがこれが、同じように隣の農家とのトラブルでも、相手農家と農地が国境を跨いだ隣国の場合だと、そう簡単には事が運ばない。なんてたって、土地の境界線イコール国境線というわけだから、ちょっとした揉め事でも機関銃を持った兵士が臨戦態勢で吹っ飛んでくる事態に発展してしまう。

そんな時に自国の警察や行政の長を呼んでみたところで、相手は「こちらが国境線を勝手に踏み越えて領土を侵食しようとしている」という無茶苦茶な理屈で、軍人が即射殺も辞さない覚悟でやってきてるんだから、なんの役にも立ってくれない。

日本は全ての国境線が海上に有るために、誰一人として「自分の財産である土地の境界」と他国との国境が同一である人は存在しないわけだけれど、ここカンボジアには(そしてお隣のベトナムにも)そんな微妙な立地に農地を所有してしまっている農家がたくさん居る。

この平和で経済の順調な発展が何よりも重要で、且つ政府間同士の繋がりが非常に深い(というか、カンボジア政権がベトナムの傀儡政権だとすら思われているフシも有る)ベトナムとカンボジアでさえ、今この瞬間にもこんな一触即発の自体が日常的に起きている。

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ベトナムの軍人と対峙するカンボジアの農家たち(Voice Of Americaより)
http://learningenglish.voanews.com/content/clash-vietnam-cambodia-border/2845262.html

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右側がカンボジア、左側がベトナム(Internatioanl Business Timesより)
http://www.ibtimes.co.uk/clashes-between-authorities-civilians-vietnam-cambodian-border-leave-dozens-injured-1508879

僕にはどちらの人々の主張が正しいのかはわからない。ただ残念ながら、双方が正しいということはあり得ない。一方の主張が正しいということは、相手の主張は端から間違っている、というより意図的に財産を奪いに来ていると考えるほかに疑いの余地がない。僕の農地の隣の農家と同じで、何も文句を言われなければラッキーという、浅はかで恥も外聞も無い「やったもん勝ち」のルールで生きている人々は、世界には僕たちが想像している以上に多いのも、これまた残念な事実だ。

僕は戦争なんて絶対に反対だし、誰かを殺したり殺されたりするのもまっぴらゴメンだ。国境なんてむしろ無い方がいいと思っているし、国家やその領土が存在している事自体がややこしい事態を巻き起こしている最大の要因だとすら思っている。ところがこれが僕個人や自分の家族、そして親しい仲間たちという単位で考えてみれば、その財産を不法に第三者に奪われそうになったとするならば、考えるまでもなくそれを守ろうとするだろう。例え相手が暴力をちらつかせてきたとしても。

カンボジアにだって、個人の資産を保護するための法律は存在している。その法を運用するための司法機関も(デタラメだが)存在している。また国家間にも国際裁判所や国連のような機関が存在していて、そこには明確にやってはいけないルールが明記されている。しかしながら、なぜかいつもそれを平気で踏み越えて「文句を言われなければラッキー」、もしくは「多少文句を言われたところで痛くも痒くもない」と考えて色々と仕掛けてくる連中が後を絶たない。

自分たちからこのような不法行為を仕掛けていくのは言語道断だが、自分がやらなければ相手もやってこないというのは幻想でしか無い。だからこそ、相手が仕掛けてきた時にどうすればベストなのかということについては、常に考え続けなくてはならない課題なんだろうと僕は捉えている。

さて、カンボジアのフン・セン首相はオバマ大統領宛に、この国境問題の紛争解決に向けて、1963年に取り決められた国境線の地図を元にカンボジアの正当性を証明してほしいという手紙を書いたみたいだけれど、はてさてどうなることやら。。。

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理不尽な死について

ISISとかいう厨二病をこじらせたDQNがやってる『イスラム教カルト集団』に拉致されていた日本人の二人が殺されてしまった。二人を助けて欲しければ200億円払えとか、請求してくる金額も厨二病全開で痛々しいレベルなのだが、それをまた「たった200億円で助けられるなら払うべし」とか、「イスラエル国旗の前で記者会見した安倍首相のせいでISISを怒らせてしまったから、安倍が悪い」とか、どこをどうすればそんな見解になるのか理解できない発言が多くて、改めて日本にも色々な人が居るという事実に若干驚いている。

確かに、今回拉致をされて殺されてしまった二人は非常に気の毒で残念だし、可能であるならば救出したかった。でも、そんな感傷的な話の前にちょっと冷静になって考えてみればわかるけれど、望まない非業の死を遂げているのは彼らだけでは無いよね。

全ての人がいつか死ぬわけだけれど、例えば家族に見守られながら老衰で息を引き取るとか、そういった死はみんな受け入れることが可能な「幸福な死」と言っていいだろう。けど、世の中には誰も望んでいない突然の死が訪れる人々が一定の割合で存在してる。交通事故とか不治の病とかのように僕たちの日常の直ぐ側にありそうなものから、空から爆弾が降ってくるとか通り魔に刺殺されるとかいう、非条理極まりない死まで。

命の重さに大小は無いけれど、例えば今日ニュースになっていた福岡の小学5年生の女の子が殺された事件のほうが、ISISに拉致されて殺されたことよりもさらに有ってはならない事件だと僕は思う。それは別に後藤さんが自分で戦闘地域に行ったんだから自己責任だ、殺されても仕方がないというような話ではなくて、自分の意志で望まぬ死が訪れるのを回避できた可能性の違いだと思うのよね。「今から世界で最も危険な戦闘地域に行って来ます」と言って家を出るのと、「学校に行って来ます」と言って家を出るのとでは、その先に想定される可能性のある危険の度合いが全く違う。

いや、もちろんどちらも奪われてはいけない大切な命なんだけど、この世界最高水準に安全な日本で極普通の家庭に生まれ育ち、ただただ学校に行ってくるだけでもこんな悲劇が起きてしまうことの方が僕は重大な問題だと思ってる。こんなこと有ってはいけないはずなのに、世界平和を叫ぶ人々は誰もこれには見向きもせずに、毎日人々が殺し合いをしている戦闘地域の真ん中で起きた殺人事件にばかりフォーカスしているのが、ことさら僕には気持ち悪くて受け入れがたいのよね・・・。

いずれにせよ、二人の命が奪われるという痛ましい結果となってはしまったけれど、様々な批判をものともせずに、身代金を支払ったりヨルダンに対して変な外交圧力で死刑囚の釈放を求めたりしなかった現政権の判断を僕は指示します。残念ながら、世界の圧倒的多数派は教育水準が低く合理的にものを考えたりすることが出来ず、論理的な話も通じない感情だけで突発的な動きをする人がほとんどだから、日本人を拉致すれば巨額の身代金が手に入るとか、獄中の仲間を釈放させられるなんていう前例が出来てしまって、世界中の犯罪組織から日本人が狙われるというような事態を招きかねなかったと思います。

しかし、一日でも早く世界中のどこでも安心して出かけられるようになって欲しいですね・・・。

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求む『日本語クメール語同時通訳機能』

『最先端の人工知能が、Skypeのリアルタイム機械通訳を可能にした』っていうこの話題。http://wired.jp/2014/12/20/skype-used-ai/

いやぁ、マジですごい。SFの世界がどんどんと現実になっていくこの感じ、面白いやらちょっと恐ろしいやら複雑な気持ちにさせられるけれど、デモ映像を見る限りまずは英語とスペイン語という親和性の高そうな言語同士でのトライっぽい。言語の構成的に全く違う日本語と英語でのテキスト翻訳は未だに甚だ不自然で、互いの言語を理解している人にしか使えないんじゃないかというお粗末なレベルを脱していないんだけれど、これもそのうち人工知能が解決をはかってくれるのだろうか?

っていうか、僕の念願である日本語クメール語リアルタイム翻訳が可能になる日は僕が生きているうちに叶うのだろうかw その前にクメール語がこの世から消滅するんじゃないかと意見もあったけれど、さもありなんな気がせんでもない・・・

さて、このリアルタイム翻訳機能のベースになっているのは言語を聞き取ることが出来る機能なわけで、これはすでにiPhoneのSiriとかAndroidの「OK Google」でかなりの正確さを誇っている。例えばSiriの英語版はイギリス英語とオーストラリア英語とアメリカ英語の3種類が用意されていて、僕のアメリカ人の友達がイギリス版のSiriに話しかけても全く読み取ってもらえない。無意味に精緻だw もちろん僕が全ての英語版Siriに話しかけても、英語を話すのを金輪際やめようかなと思わせてくれるくらい全く聞き取ってもらえない。

人間ならばアメリカ人とイギリス人が英語を話していて互いに聞き取れないというシーンはほぼ皆無に等しいだろうし、僕のような訛りのひどい英語ですらみんなそれなりにちゃんと理解をしてくれる。っていうか、僕は英語も訛っているけれど日本語も大阪弁だ。カンボジアに来る前に2年ほど東京に住んでいたけれど、どうしてもこっ恥ずかしくて標準語を話すことが出来なかった。僕にとって標準語のイントネーションで話すことは、裏声で歌を歌うとか鼻にかかったオネエ言葉で話すこと以上にハードルが高い。ところがコンピューターに理解してもらうためには標準語のイントネーションにするしかない。

今まで誰に対しても話すことが出来なかった標準語が、コンピュータに理解してもらうためには話さざるを得ない。さてこれはコンピューターが人間に近づいてきているのか、それとも人間がコンピューターに合わせざるを得なくなっているのか、どっちなんだろう?

将来的には人工知能が人間を支配して、というようなさらにSF映画チックな未来が予想されているけれど、すでに人間はコンピューターのために特別な便宜をはかりだしているのではないだろうか?頻繁に停電が起きるカンボジアでも人間はそれなりに我慢して生きていくことが出来るけれど、サーバールームなどは空調完備でなければならない。いまだに世界の人口の大半は空調設備すら持っていないの言うのに。

2018年にコンピューターは脳に追いつく。コンピューターのチップ1枚に組み込まれるトランジスタの数が300億個に到達し、人間の脳細胞と同じになるという見解をソフトバンクの孫さんが披露していたけれど、きっとその日は確実に訪れるんだろう。そうなった時に人間は自分の応対している相手が人間かコンピューターか判別が付くんだろうか?いやぁそんなこと考えだすとマトリックスって映画の未来が現実になる日はすぐそこなのかもしれないね。

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