全精力を注ぎ込んだ日本スタディーツアーから帰国して早一週間。 ちょっと疲れをとりにシアヌークビルに行ってみたりしている間に、息付く暇も無く通りすぎていったような気がする・・・ シェムリアップに帰ってくればいつもの日常が待っているだけでなく、また新しいアイデアが浮かんでは消えたりしながらも、せっかく思いついたアイデアは出来る限り全て実行してみたいという、いつもの『何でもかんでも実際にやってみたい病』が完全に再発してる(笑)
まず一つめは以前からずっと提案されていた、孤児院の子供の日本への農業留学だ。今年の3月に孤児院を訪れて『土着菌農法』を伝授してくれた吉井さんから、ぜひ誰かを日本に派遣してカンボジアの農業の発展に寄与する人を育ててみないかという、素晴らしい提案をいただいていながらも、中々みんな全く知らない日本に一人で旅立つことに尻込みしていた。
(参照)
土着菌農法
http://hugs-int.com/kengo/archives/1109
柞(いすのき)有機農園のブログ
http://isunoki.exblog.jp/
もちろん子供たちに関する全責任を負っている理事長も、みんなまだ学校が残っているという理由から、このアイデアに積極的では無かった。一番日本に行きたいという希望を持っていたフィフォンは、孤児院の運営をしなければならないという理由でカンボジアを離れるわけには行かない・・・
(参照)
フィフォンの悩み
http://hugs-int.com/kengo/archives/1118
もう一人の候補者、フィフォンの実兄であるパンくんは・・・ まぁ知っているみなさんにはご想像のとおりで(笑)そんな中、今回日本に行って実際に日本という国を見て、そして多くの日本人と触れ合うことによって彼らの心の中に大きな変化が生まれた。 できる事なら日本に行って学んでみたい、学ばせてみたいという想いだ。 今回僕は一番最年長者でるチェット(本人は何故かヴィチェットだと言っているが、みんなはチェットと呼んでいるし戸籍上もチェットなのだが・・・)に白羽の矢を立ててみた。彼はもう23歳。でも未だに中学校に通っている。既に読み書きも計算もできるし、英語も話すことが出来る。
はっきり言って学歴がモノを言わないこのカンボジアで、これ以上時間を使って中学を卒業しても、もちろんいい就職口などないし、高校に進んだとしても、はたまた大学まで出たとしたところで結果は大差のない話だ。いい仕事に就きたければ相応のコネが無ければ話にならない。それならば日本に行って生きた日本語を学び、使える農業の技術を学んだほうが彼の人生に取って絶対に大きな意味を持つことになる。もしそれから中学校に復学したければ、そうすればいいだけのことだ。その僕の想いを彼らに伝えたところ、今回は是非とも日本に行って吉井さんのところで学んでみたいという話になった。
吉井さんは、彼が日本に行った際の衣食住の全てを面倒見てくれると言ってくれている。こんな素晴らしい機会を逃すのは犯罪と言っても等しいだろう? こうなったらなんとしてもチェットを日本に行かせてやりたい。問題はビザの手配と渡航費用だけだ。まずはどんなビザが必要なのかさっそく調べるとともに、現在吉井さんにも問い合わせを入れている最中だ。それが分かれば次に航空券の手配。幸いにも彼はもうすでにパスポートを持っている。そう、SmileJPが残してくれた財産はあまりにも大きい。今回もまたSmileJPのみんなは、チェットの日本行きに際して既に協力を申し出てくれている。
(参照)
SmileJP
http://www.smile55.org/
2つ目のアイデアは、また明日にでもブログに書こうかな・・・