マイクロクレジットは高利貸なのか?

先日ツイッター上でマイクロクレジット業者が20%以上の高利を受け取っている、目的を異にした高利貸しであるという発言を見かけたので、改めて以前に書いた文章を引用してみよう。

その前に、その中の発言で気になったことは、明らかに借主を苦しめるような事をしている業者が存在しているという発言だ。 残念ながらこれについては、マイクロクレジット業者にも悪いヤツがいるであろうことは間違いないだろうし、それによって被害を受けている人もいるだろう・・・ 世の中には悪事を働く警察官だって山ほど居るくらいだ。 ただ、そのことをもってして、全てのマイクロクレジットに取り組んでいる人を、高利貸しだなどと言ってしまっては本質を見誤ってしまうのではないかと思う。

さて、例えばカンボジアで通常何かのビジネスを始めようとして銀行からお金を借りる場合、金利は年利で36%(月3%)だったりする。 しかも担保が必要になる・・・これが日本ならもれなく逮捕してもらえる金利だ(笑)

ちなみに現在僕が取り組んでいるマイクロクレジットは、これより安く金利が年利30%、そして担保保証人を請求しないという方式で行っている。それでも実際、僕がマイクロクレジットを始めるという計画を話したときに、多くの人が『金利を大きく下げるべきだ』とか、『極端な話金利をとらずにやるべきだ』というような意見を言ってきた。

それに対する僕の考えを今から書かせて欲しいと思う・・・

まず『金利30%が高いのか?』という問題に対してだけれど、これは日本の常識を当てはめた場合非常に高く感じてしまうが、視点を変えると実はそうでもないということが言えると思う。

例えばマイクロクレジットを利用する対象になる人々は、現在の収入が月収で100ドルに満たないような人たちだ。よくある経済的な話では、このような人たちには信用リスクが高いので金利が高くて当然だということになる。ところが彼らの返済率から見ても分かる通り、きちんと指導することができれば信用リスクは我々先進諸国に住む人々より遥かに低いことがわかる。

ではなぜそれでも金利が、日本を初めとする先進諸国より高いのだろうか?

まず一つめは、発展途上国の市中調達金利が先進国よりも高いことが挙げられる。 カンボジアの銀行に1年ものの定期預金をすると年利で7%付く。ということは、銀行預金よりもリスクの高い投資をするのなら、絶対にその金利より高い利回りを要求される。誰がどんな綺麗事を言ったところで、金は儲かる所に向かってに流れているのが世界の現実だ。途上国に資金を呼び込みたければ、金利を他国より高く設定するしか方法が無い。

次に、マイクロクレジット業者は、借主がマイクロクレジットを利用することで、彼らの収入が2倍にも3倍にも(月額200ドルから300ドル)なる事を目標に貸し付ける。すでに高収入を得ている日本人のような人々を対象とする場合、その貸付によって収入を2倍、3倍にすることなんて不可能に等しい・・・

通常我々は借主一人当たり600ドル程度の貸付を行っている訳だけれど、その3%である18ドルを1ヶ月かけても稼ぎ出すことが出来ないようなビジネスなら、そもそも彼らにそのビジネスをさせるべきではないだろう。なぜならば、あらゆる人の時間はマネーより希少で大切だから、彼らの時間を月額たったの数ドルのために費やされるわけにはいかないからだ。少なくともビジネスのノウハウを知る我々がコンサルティングをするわけだし、この借入資金を使って月額100ドル以上を新たに稼ぎだしてもらいたい。そうなれば月額18ドルは決して高いと言えるコストではないと思われる。

さらに大切なことは、人々から受け取った金利の使い道だ。元々このマイクロクレジットビジネスに興味を持ったのも、どうすれば孤児院やフリースクールなどを自立させることが出来るのか、という命題から導きだされた答えの一つなので、基本的に人々が支払った金利でこのような教育機関を運営していく。借り入れによって新たに得た富の一部を、地域に住む子どもたちの将来のために分配してもらう。

カンボジアの場合10村程度の村が集まって、ひとつのコミニューンという行政単位を形成している。そのコミニューン内の人々は概ねお互いのことをよく知っていて、うちの孤児院などもそのコミニューン内に住む貧困家庭(殆どがそうなんだけれど・・・)の子どもたちが通ってきている。このように地域の子供達が通っている教育施設を、貸付の窓口として活用し、子どもたちだけなく地域の大人にもビジネスや金銭に対する情報を発信したり、教育を与えたりする場所にする。そして人々の支払う金利は、自分たちの地域の教育機関(借り入れ窓口)の運営費用に当てられる。
現在は、僕の支援している孤児院とそのコミニューンで貸付を開始しているんだけれど、今後は別のコミニューンでも同じことを同時多発的に進めたいと思っている。その時に必要になるのが、すでにマイクロクレジットのノウハウを持っていて、信用に足るスタッフたちだ。ここに孤児院を卒業する子どもたちの雇用を少しでも増やすチャンスがある。金利の第2の使い道だ。

もちろんこれでも全ての仕組みが完璧なわけではない。事業を始める人全員が成功するわけではないし、失敗したから返済しないということが受け入れられるわけもない。でもだからこそ、多くの人が知恵を出し合って、どのようにすればもっと良い方法を提供できるのか、考えていくことが大切なはずだ。 金利が高いから、マイクロクレジット業者が儲かっているから、返済できなくなった人が困っているから、自殺者がでたから、これはひどいやり方である、と結論づけてしまっては何の発展性もなくなってしまうのではないだろうか?

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はや一年、たったの一年?

ちょうど先日の15日でこのブログを書き始めて1年が経ちました。このブログを書き始めたのは、ちょうどカンボジアにボランティアの日本語教師をしにきた事を皮切りに、アジアを周遊して色々な現状を確認する旅に出た日だった。今から思えばあの時点で、まさか『翌年自分がカンボジアに住んでいる』とは想像もしていなかった(笑)

実際のところ、昨年カンボジアにやってきたときは誰一人知り合いがいない状態だった。ただ一人だけ連絡先を知っていて、何度かメールのやり取りなどで意見を交わしたことがあったのがフィフォン。一度孤児院で会っているんだけれど、例によって人の名前と顔を全く覚えられない僕が一度会っただけで、もう一度会うかどうかわからなかったカンボジア人を覚えているわけは無く、空港で向こうから声をかけらるまでわからなかった・・・(;´▽`A“  そこからポールやサラ、ダラとの出会いがあったり、地雷原に送り込まれアキ・ラとの出会いがあり、ネパール、チベット、エベレスト、インド、ベトナム、タイ、マレーシア、ミャンマーで数多くの人達と出会った。

年末に日本に戻り、そこから自分にいったい何が出来るか?何がしたいのか?色々と考えてみた。考えた結果は『これ以上日本で考えていても意味が無い。現地に直接行って出来る事、やりたいことをかたっぱしからやってみよう』ということだった。3月にカンボジアに移る事を決意した後、ブログを通してせいきゅんとの出会い、そしてまた同じくブログを通じて正大さんのような素晴らしく共感できる意見の持ち主と意見交換をする機会があった。カンボジアに来る前に上海にワンタッチして、日本の仲間が現地にオープさせたクラブ『ノードラウンジ』のオープニングイベントに顔を出して刺激を受けた。
ノードラウンジ
http://nodelounge.com/

そう言えば、マイケル・ジャクソンの一周忌イベントをカンボジアのアンコールワットでやってやろうと、2006年・2007年にマイケルを日本に呼んだ『ポジティブ・プロダクション』のモーリスとも、一緒にカンボジアに来たりとドタバタやってみた。結局はユネスコやアプサラオーソリティーの厚い壁に阻まれ、この企画が陽の目を見ることは無かったが、アンコールトムという遺跡でならイベントが出来るという所までは分かったし、まぁそれはそのうち何かのイベントが出来るかも知れないというオプションが出来たということで良しとしておこうw
ポジティブ・プロダクション
http://www.positiveproduction.com/

カンボジアに来てからは以前より可能性を感じていた『マイクロクレジット』をさらに昇華させた形にしたいと考え、近隣住民が借り入れた資金から支払う金利が孤児院の運営費用に当てられる仕組みを作った。孤児院を通じて自分たちがビジネスを初めて利益を出すチャンスを得たのだから、次はその利益の中から金利として自分たちの住むエリアの子供たちのために使ってほしいという発想だ。

そこで知った養豚や養殖などを自分たちでも手がけてみることにした。自分たちもそのビジネスを熟知している方が、資金の借主に対して良いアドバイスが出来るようになる。さらに村に新たな雇用を創り、豊かになる人を増やしたいと思い、そのビジネスそのものに投資してもらえるような仕組みを提案し、実際にアッキーやせいきゅんたちに投資してもらうことが出来た。もちろんこれらのビジネスはまだまだ初期段階なので、これからさらにもっともっと煮詰めていかなくてはならない。

そうこうしているうちにもスイスにポールやサラたちに会いに行き、ついでにオランダに遊びに行ったり、スペインのイビサ島に『地上の楽園』を体験しに行ったりした。この体験は、僕に『カンボジア、特にシェムリアップをアジアの楽園にしたい』という思いを強くさせた。いつまでもカンボジアが可哀相な国であっては行けない。もうそんな時代はさっさと終わりにして、アジアで一番楽しくかっこいい場所になればいい。それと並行してせいきゅんからうちの孤児院の子供たちを日本に招待したいというオファーがきた。まぁ、そんなもんパスポート取れば済む話だから簡単だろうと、安請け合いしてみたらとんでも無く大変な作業になった(笑) これは短期間でカンボジアという国を学ぶのに非常にいい勉強になった。まさに生きた勉強とはこういう事を言うんだろう・・・

一度日本に帰国した際に、グローバルリーダーを育てるという目標の下IGSを創業した正大さんと会って熱い話を注入される。『スゲー!こんな熱い人が僕の周囲にいる!本気で日本を変えようとしている』。さらにDUFFというフリーペーパーを発行している高松くんにも出会った。『真面目で小難しい事を力を抜いてフザケながらやっちゃおう』ってなコンセプトがぴったりと僕にはまった。そう言えばカンボジアに移ってすぐ位の時に、ミスター土着菌の吉井さんにも出会っている。これまたとんでもなく熱い魂を持った人だ。『毎年カンボジアに来て農業指導をしているが、時間的な制約があり伝えたいことを伝えきれない。 誰か日本に留学に来てくれれば・・・』という話から、今回のチェットの日本行きを検討することになった。
IGS
http://www.iglobalsociety.com/

DUFF
http://www.duffworx.com/DUFFMAGAZINE/Home.html

そして先日『SmileJP』の招きで子供たちと一緒に日本へ。そこでまた、たくさんの出会いがあった。カンボジアに絶対に来ると約束してくれた人多数。日本の大学生に僕の話を聞いてもらいたいといって、講演会の準備を初めてくれた由美ちゃんのような人もいる。 せっかくカンボジアに来てくれるという人がいるのなら、シェムリアップ楽園化計画の第一歩として宿泊施設を作ってみたいと思った。これについては現在土地の買収交渉中だ。他にもメグがせいきゅんと組んで、カンボジアスタディーツアーを計画している。手前味噌だけど、僕以上にシェムリアップを楽しむことが出来るツアーを創れる日本人がいるとは到底思えないので、 カンボジアに来てみたいと思っている人は要チェックだ。
SmileJP
http://www.smile55.org/

うーん、しかしこうやって書いてみると、日々のんびりと過ごしている割には色々なことが動いてきたんだなぁって思う。なにかの大きな歯車ががっちり咬み合って、全てが僕の思う以上の形となって回り始めているように感じる。さて、次の一年はどんな出会いと冒険が待っているんだろう?楽しみで仕方ないし、今設定されている未来以上に素晴らしい未来にしてみせる。これからもよろしくお願いします!!

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そんなこんなで

全精力を注ぎ込んだ日本スタディーツアーから帰国して早一週間。 ちょっと疲れをとりにシアヌークビルに行ってみたりしている間に、息付く暇も無く通りすぎていったような気がする・・・ シェムリアップに帰ってくればいつもの日常が待っているだけでなく、また新しいアイデアが浮かんでは消えたりしながらも、せっかく思いついたアイデアは出来る限り全て実行してみたいという、いつもの『何でもかんでも実際にやってみたい病』が完全に再発してる(笑)

まず一つめは以前からずっと提案されていた、孤児院の子供の日本への農業留学だ。今年の3月に孤児院を訪れて『土着菌農法』を伝授してくれた吉井さんから、ぜひ誰かを日本に派遣してカンボジアの農業の発展に寄与する人を育ててみないかという、素晴らしい提案をいただいていながらも、中々みんな全く知らない日本に一人で旅立つことに尻込みしていた。
(参照)
土着菌農法
http://hugs-int.com/kengo/archives/1109

柞(いすのき)有機農園のブログ
http://isunoki.exblog.jp/

もちろん子供たちに関する全責任を負っている理事長も、みんなまだ学校が残っているという理由から、このアイデアに積極的では無かった。一番日本に行きたいという希望を持っていたフィフォンは、孤児院の運営をしなければならないという理由でカンボジアを離れるわけには行かない・・・
(参照)
フィフォンの悩み
http://hugs-int.com/kengo/archives/1118

もう一人の候補者、フィフォンの実兄であるパンくんは・・・ まぁ知っているみなさんにはご想像のとおりで(笑)そんな中、今回日本に行って実際に日本という国を見て、そして多くの日本人と触れ合うことによって彼らの心の中に大きな変化が生まれた。 できる事なら日本に行って学んでみたい、学ばせてみたいという想いだ。 今回僕は一番最年長者でるチェット(本人は何故かヴィチェットだと言っているが、みんなはチェットと呼んでいるし戸籍上もチェットなのだが・・・)に白羽の矢を立ててみた。彼はもう23歳。でも未だに中学校に通っている。既に読み書きも計算もできるし、英語も話すことが出来る。

はっきり言って学歴がモノを言わないこのカンボジアで、これ以上時間を使って中学を卒業しても、もちろんいい就職口などないし、高校に進んだとしても、はたまた大学まで出たとしたところで結果は大差のない話だ。いい仕事に就きたければ相応のコネが無ければ話にならない。それならば日本に行って生きた日本語を学び、使える農業の技術を学んだほうが彼の人生に取って絶対に大きな意味を持つことになる。もしそれから中学校に復学したければ、そうすればいいだけのことだ。その僕の想いを彼らに伝えたところ、今回は是非とも日本に行って吉井さんのところで学んでみたいという話になった。

吉井さんは、彼が日本に行った際の衣食住の全てを面倒見てくれると言ってくれている。こんな素晴らしい機会を逃すのは犯罪と言っても等しいだろう? こうなったらなんとしてもチェットを日本に行かせてやりたい。問題はビザの手配と渡航費用だけだ。まずはどんなビザが必要なのかさっそく調べるとともに、現在吉井さんにも問い合わせを入れている最中だ。それが分かれば次に航空券の手配。幸いにも彼はもうすでにパスポートを持っている。そう、SmileJPが残してくれた財産はあまりにも大きい。今回もまたSmileJPのみんなは、チェットの日本行きに際して既に協力を申し出てくれている。
(参照)
SmileJP
http://www.smile55.org/

2つ目のアイデアは、また明日にでもブログに書こうかな・・・

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