うちの孤児院の理事長であるフィフォンパパは18歳になった時から軍隊に入り、以降22年間を戦争と共に過ごし、最後は3000人の部隊のトップにまでなった叩き上げの軍人だ。 ポン・セナという名前も国王からもらった名前だそうだ。 そして軍人として古き良きカンボジアの精神を持っている彼は、契約書などよりも約束の方が絶対だ。
彼は自分が一度かわした約束は、どんなに自分が不利なものだったとしてもそれを反故にすることはない。 今でも農村地帯などに住んでいる人々は、全ての商売なんかの契約に関しても概ねそのような風習が生きている。 日本もアメリカ型契約文化が入ってくる以前はきっとそうだったはずだ。 だから理事長が役人の約束を信じてしまうのを責めることは出来ない。 そういう文化と常識で今まで生きてきた人だから・・・ 僕自身もここまでに無用なトラブルで引っ張られるようなことがなければ、理事長の言葉を信じてそのまま帰路に着いていただろう。 できる事なら相手の文化を尊重したいとも思うし。 でも、もうそんなことを言っているような余裕は残されていなかった。
「絶対に大丈夫だし、そもそもそんな受領証なんていうようなものは存在しない」という理事長の言葉を無視して、フィフォンにパスポートセンターに電話を入れさせた。 パスポートセンターの担当役人が言うにも、確かに受領証のようなものは存在しないし、領収証も必要な人にしか発行していない。 領収証にいつパスポートを受け取ることが出来るのかも明記されていないってことだった。 でもここまで来たら自分の目と耳で確認して、せめて金を支払ったという証明になるものくらい持って帰らなければ納得できない。
僕はすぐさまフィフォンだけを連れてもう一度プノンペンに戻ることにして、他の連中には先にシェムリアップに帰ってもらうことにした。 と言っても僕達がその時いた場所はバス停などあるはずもなく、日本と違って流しのタクシーなんかも無い。 車をチャーター出来ないのか聞いてみたけれど、それも無い。。。 かと言って僕のバイクで戻るのもシェムリアップに夜帰る事になるのを考えるとかなり危険だ。
なんてたって道が悪い上に、夜になれば真っ暗闇なんだから(笑)
そんな訳で、その時たまたま目の前の道を通りがかったプノンペン行きのバスの前に出て無理やり停車させて「運賃を払うからここからプノンペンまで乗せて行ってくれ」と交渉し、無事にプノンペンまで戻る手段を確保♪ ラッキーなタイミングだった。
プノンペンに戻った僕とフィフォンはすぐさまオフィスに行って、担当の役人にクドイくらいパスポートを発行してくれる日にちを確認し、用意してもらっていた領収証を受け取った。ところが信じられないことにこの領収書、通し番号や名前、日付を明記した上で政府のスタンプまでついてあるのに、肝心の受領金額の部分が空白のままだ・・・今回僕達は日本に行くまでの日数がなくなってきているので、通常1ヶ月かかるパスポートの発行手続きを1週間でやってもらうコースを選んでいたんだけれど、ようはその「特別発行にかかる手数料」は領収証に書く事が出来ないというのが理由だった。
早い話、パスポートセンターはパスポートの発行1冊につき120ドルを政府に納めさえすれば、後は誰にどのタイミングで発行しようと、それはパスポートセンターの裁量の範囲内ってことだ。だから金払いの悪い奴は発行がどんどんずれ込むし、金を払えばいくらでも早く優先してもらえる・・・ 公共サービスの中にまで恐ろしいくらいに資本主義が生きている(笑)
何はともあれ5日の木曜日に必ずパスポートが発行されること、その際にはもう子供たちを連れてくる必要が無いことを確認し、そして金額こそは明記されていないが、確かにパスポートの代金を支払ったという証明くらいにはなる領収書を手にしたことで、今回のプノンペンでの目的は全て果たしたと判断することにし、こんどこそ正真正銘、シェムリアップに向けて帰ることにした。
木曜日に無事パスポートが手元に来ますように・・・