カンボジアの最も有名な遺産がアンコールワットだとすれば、有名な負の遺産といえばやっぱり地雷だろう。 未だにタイとの国境沿いなどの山間部に約500万発とも言われる地雷が残されていて、完全に撤去し終わるまでに後10年、およそ5億5千400万ドル(約440億円)掛かると試算されている。
ひょんなきっかけ(http://hugs-int.com/kengo/archives/995)から、カンボジアの、いや今や世界的な地雷撤去の第一人者と言っても過言ではないアキ・ラーと知り合った僕は、以前から彼らに何かの協力をしたいと考えていたのだけれど、今回ようやくその望みが叶うことになり、僕達の会社HUGSが今後アキ・ラーのチームに制服の支給などを行なっていくことになった。 で、まぁその制服なんかを届けがてらHUGSの頼れる相棒ジローちゃんと共に地雷原を訪れたので、今回はその話題です。
僕達が訪れたのはコンポンスプー州にあるウドンという街にある地雷原。 ここは1970年当時、クーデターで政権を奪取したロン・ノル首相がカンボジアで一番大きな武器庫を設置していた場所らしく、その後の内戦で爆破された武器庫からあらゆる武器が周辺に散らばっていて、毎日100個近い不発弾やら地雷やら手榴弾が見つかっている、なんとも物騒な場所です。
ちなみにこの当時は米ソ冷戦の真っ最中で、お隣のベトナムではアメリカ軍が北ベトナム共産軍と血みどろの戦争をしていたころで、ロン・ノルという人はCIA(言わずと知れたアメリカ情報局)のサポートを受けて、中国の毛沢東やベトナムのホーチミンと親交の深かったシハヌーク国家元首が居ない間にクーデターを起こした。 このロン・ノル時代より以前は、カンボジアはかなり豊かな国だったらしく、今をときめくシンガポールの初代大統領リー・クワンユーをして「シンガポールはプノンペンを目指す」をさえ言わしめてたとかいないとか・・・。 まぁ、それぐらい素敵な場所だったそうです。
結局このロン・ノルをぶっとばして、再びカンボジアを自分たちの手に取り戻すためにシハヌークが連れてきたのがカンボジア赤軍派、クメール・ルージュだったわけなんだけれど、なぜか僕達はこのあたりからしかカンボジアの地獄の歴史をあまり知らなかったりする。
それはさて置き、そういった理由からこのあたりに散らばっている武器弾薬その他もろもろは全てアメリカ製、もしくはおフランス製の商品たちです。 そういったものを製造している会社はさぞかし儲かったに違いないし、かなりの額を納税したのでしょうね。
こんなもんがたくさん落ちていて、子供達が知らずに触って遊んでいてドカン、とか、お百姓さんが鍬でガツンとやってしまってドカン、とか、そういった悲劇を無くすためにもアキ・ラー達が拾い集めて一括して爆破処理をしています。
地面に深く穴を掘って、爆弾や大砲の弾などと一緒にTNT火薬を置いて、その上からたっぷりと土を被せることによって、周囲に破片が散らばったり爆風が広がったりするのを防ぎます。 後は防護服をしっかりと装備して、安全な距離まで離れて爆破。 呆気無いもんです(笑)
でもこの爆破作業はあっけなく簡単で、しかもちょっと迫力があって面白かったりするのですが、それまでの地雷や爆弾を探す作業といったらもう、それはそれは恐ろしく地味でしかも大変な作業な訳です。 しかも基本的に街中なわけがありませんから、ジャングルや野っぱらで完全なサバイバル生活を余儀なくされます。 みんなが想像しているようなキャンプとは一味どころか十味も二十味も違います。
なんか僕は、そんな地味で面白く無い作業を、もっと華やかで楽しくてカッコイイものにできないだろうか、とかそんなことを考えています。 もしオモシロそうなアイデアがある人はぜひ教えてください。 実際にできそうなことならすぐにでも試してみますから♪
ってなわけで、今日もアキ・ラーたちCSHDのメンバーたちは地雷原に向かい、地味~に、そして確実に世界平和に貢献しています!
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