本当だったのか・・・

話は数日前まで書いていたラオスに突然戻ります(笑)

(参照)

シャーマン    http://hugs-int.com/kengo/archives/1055

懐かしい写真  http://hugs-int.com/kengo/archives/1047

実はラオスの首都ヴィエンチャンに到着して市内観光をしていると、迎賓館に国旗がたなびいていた。全然自慢じゃないが国旗を見てもどこの国かさっぱりわからない僕は「どこの国のえらいさんが来てるの?」と間抜けな質問をした(笑)
すると「タイの王様の孫(要は皇太子の息子)が来ています」という回答だ・・・
”タイの国旗もわからんか・・・”とちょっと自分にがっかりしたわけだが・・・まぁしょうがない(-。-;)

で、パトゥーサイっていう凱旋門にいったときのことだった。

どうも周辺の警備が物々しいなぁとか思いながら階段を登っていると、上からたくさんの制服を着た人たちが降りてきた・・・
ガイドに聞くとどうやら皇太子の息子が今パトゥーサイに居るらしいって言っている。
物々しい警備の割には僕のような一般観光客を普通に上げてくれるし、他には人っ子一人野次馬も居なけりゃ観光客すら居ないし(笑)
ホンマかいな??

と思っていたら、降りてきた♪
ちょうど僕が途中階にある土産物屋をみていたら、明らかにお付きの人ですオーラをかもし出している人と一緒に若い男女・・・

写真撮って怒られるのが嫌だったから隠し撮りみたいになりました・・・(笑)
っていうか隠し撮りです・・・
ちょうど絵葉書か何かの向こうに顔だけ見えているのがそうらしいんだけれど、
「もし俺がテロリストだったらどうすんねん!!」
と突っ込みを入れたくなるくらい周囲の人も完全無警戒・・・
平和やな~・・・というよりも、これがタイ国王の孫だっていうのがガイドの聞き間違いじゃなかったんだろうか、という疑惑に変化している今日この頃です(笑)
だってタイでの王様の大切にされ方をみていると、いくら孫でももうちょっとしっかりと警備しそうな気がせんでもないんだけれど・・・
まぁ、それだけラオスが平和っていうことなんでしょう( ̄∇ ̄)

平和の鐘
色々な宗教のシンボルが入れられているところが各国の国旗より意味深だ♪


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シャーマン

シャーマンというのを知っているだろうか?


日本でいうところの青森の『イタコ』や沖縄の『ユタ』のような存在と言えばいいんだろうか・・・
ラオスの山岳民族のような土着の精霊信仰を持っている人々の中で、神や精霊を降臨させて村人の病気から農作物の出来不出来、子供の将来など多岐に渡って重要なことを取り決める、とってもスピリチュアルな存在の人だ♪


前回のラオス旅行でそのシャーマンの家に訪れることが出来た。


僕が訪ねた村の人々は元々もっと山奥に住んでいて、国の政策によって最近町の近くに移住させられている。
もともとどれくらい山の中に住んでいたかって言うと、市内から軽く車で3時間、そこから道無き道を山岳民族の足で8時間歩き続けてようやくたどり着くような山奥。


だからちょっと病気をしたくらいで町まで下りてきて医者に見せたり、治療薬を買ったりすることなんて出来ない・・・
そこで我らがシャーマンの登場となる♪
シャーマンが占って出たお告げに従い、薬草などを混ぜて飲ませて様子を見るらしい・・・


その習慣は町に近い場所に下りて来た今でももちろん受け継がれていて、病気をすればまずシャーマン。それでも治らなければ最終手段として医者に見せるんだそうだ。


ちなみに誰がシャーマンになるのかも全て神のお告げに従う。先代のシャーマンに神が降りて次のシャーマンを指名するそうだけれど、これまた彼らの住居と同じあまりにも前近代的で僕には信憑性の無い物語にしか感じられなかったが・・・(笑)


まぁ能書きはこの辺りにして、シャーマンに登場してもらおう♪





・・・・・・
いたって普通のおっちゃんだった(笑)





ここに儀式に使う必要な品々が置いてある。
勝手に触ろうとして方々から止められた・・・ごめんなさい





なんだか良くわからないけれど笛のような楽器らしい(笑)
僕があんまりにも興味を示していたら、シャーマン自ら吹いて見せてくれた♪





下に置いてある自転車の車輪が意味不明だ(笑)
頑張ってくれたんだけれど、季節柄に調整が合っていなかったらしく音が鳴らなかった・・・
そんなことよりシャーマンが頑張りすぎてぶっ倒れやしないかということのほうが心配だったけれど・・・(笑)

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懐かしい写真

去年の2月のにラオスとベトナムに出かけたときの写真が出てきて、思わず懐かしかったので・・・

実は去年ラオスに行くまでは大多数の日本人の例に漏れず、ラオスっていうのはタイの都市かなにかだと思っていた(笑)
ルアンパバンとかいう世界遺産の街があるから行ってみようと誘われて、いつものごとくあんまりどんなところなのかも良くわからないまま飛行機に乗ることになった・・・
だいたい僕は小学生の頃から予習も復習も大嫌いで、いつもぶっつけ本番の苦しさを嫌というほど味わってきたのに、一向に治らなかったばかりか最近ではそれが楽しくなってしまっているきらいがあるようだ(笑)
日本からの直行便が飛んでいないのでベトナムのハノイで1泊して、翌朝の便でルアンパバン入りすることになっていたんだけれど、ハノイに到着してホテルまで送って行ってもらっているときに乗っていた車が事故をした・・・
乗っていた僕たちは別になんともなかったんだけど、ぶつかった相手がバイクだったから結構吹っ飛ばされて、僕が見たときには自分のバイクの下敷きになって倒れていた。
当時はあんまり東南アジア事情なんて知らないもんだから、すぐに警察と救急車が来ると思っていたのに、いつまでたっても来る気配すらない・・・
30分もしたら倒れていた奴が顔面血まみれのまま、他の人のバイクに乗って病院に運ばれていった。
唖然としていた僕たちはガイドに言われるまま何事もなかったかのように別のタクシーに乗せられてホテルへ・・・
中々強烈な出だしの旅行だった(笑)
翌朝ルアンパバンの上空に差し掛かったときに眼下に滑走路が1本だけある空港が見えた。
飛行機はその上空を通り過ぎていくし、いくらなんでも国際空港でその大きさはないだろうと思っていると、突然飛行機は大きくUターンしてその『滑走路しかない空港』に着陸していった・・・
イミグレーションも簡素な造りだ♪

なんでもルアンパバンというのはこの小さな街に70以上もの寺院があって、その全てにお坊さんが住んでいて、毎朝その坊さんたちが集団で托鉢に練り歩くということで、街ごと世界遺産に登録されているものすごく貴重な場所らしい。

ガイドにあちこちの寺に連れて行かれたけれど、今写真を見返してもどれがどれだったのかさっぱりわからない(笑)
一番僕に強烈な印象を与えたのは山岳民族の家を訪ねたことだった。

僕の常識をはるかにしのぐ非文明的な暮らしっぷりに、テーマパークか何かなんじゃないのか、と思いたくなるくらい現実感がなかった(笑)


子供たちに渡すためにノートとペンを買って持っていったんだけれど、驚いたのは子供たちがそれを取り合いしないということ・・・

後から来た小さい子供に年上の子供(といってもまだ幼い子供だ)が譲ってあげている。
ルアンパバンに到着してまず最初に感じたことだったんだけれど、物売りがいないしみんなが常に譲り合っている。
客引きのような人がいても「いらない」と言えばすぐに引き下がる・・・
半分がやさしさで出来ているバファリン以上にやさしさ成分が多そうな人ばかりだ♪
その片鱗はこのような小さな子供たちも十分に持ち合わせている。
実はこの山岳民族人々は元々悪名高きゴールデントライアングルで芥子(アヘンの原料となる植物)を栽培していた人たちだ。
どうしても麻薬地帯にいる人々っていうと、世にも恐ろしい犯罪者集団をイメージしてしまうけれど、実際のところはこのような何も知らない素朴な人々が生活のために栽培していたりするというのが現実だろう。
現在は国の政策で芥子栽培は禁止され、コーヒーなどの栽培に変更したりしているそうだ。
僕は「芥子を育てていたほうが生活が楽だったんじゃないの?いいお金になるだろうし・・・」って聞いてみた。
すると答えは「栽培している僕たちは全然儲けにならなかったんだよ。それを買いに来る人たちが大儲けしていただけ。それに芥子畑があるとどうしても村にアヘン中毒が出るからね・・・」
貧困の原因の一つは情報の貧困にあるという事実を肌で感じた瞬間だった・・・

ここにガイドとして案内してくれたディーはラオス語のほかにモン語とカム語という両山岳民族の言葉、更に英語が話せる。

英語があまりにも上手いから留学でもしてたのかと思うと、国内でトレッキングガイドの仕事をやりながら覚えたと言う。
やっぱりモチベーションが違うと結果に諸に出てくるんだなぁとか思っていると、彼が「僕は山からルアンパバンの街に出てきて経済というものを知りました。いつまでも物々交換のような原始的な暮らしではなく、僕たちももっと勉強してこの国を発展させたい」という夢を語ってくれた。
本当に発展することが幸せなんだろうか?
経済的に豊かとは思えないこの国の人は、金がなくなったからといって自殺したりはしないだろう。
圧倒的に物が足りない中にあって子供同士ですら譲り合いをするこの美しくやさしい場所が、はたして経済的に発展することが幸せを創るのだろうか、それとも壊すのだろうか・・・?
なんだかとっても考えさせられた1日だった。
続きます

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