伝統を守るということ

まぁしかしヨーロッパの国々と言うのはどこもかしこも伝統的な建築物が立ち並んでいたり、未だ頑なにその生活様式を守っている人がいたりして、なんとも情緒豊かでカッコいい街が多い。
この様な街並みを見ながら日本のことに色々と想いを馳せていると、先日のブログにも書いたように『日本がもし戦争で焼け野原になっていなかったとしたら、同じように古い街並を残しただろうか?』という疑問が湧いてきた。
でも良く考えてみると、その疑問自体が本来は少しおかしな疑問なのである・・・なぜならみなさんもよく御存知の通り、日本は伝統文化にことさらこだわる国民のはずなのだから、古い街並みを残していて当然だからだ。
ところがいくら考えてみても、我々伝統にこだわるはずの日本人が、不便で効率の悪い伝統的な日本様式の古い街並みを残していたようには思えない・・・なぜだろう?
そうやって考えているうちに、もしかしたら僕達日本人は自分たちのことをものすごく勘違いしているんじゃないだろうかと思えてきた・・・
本当のところ我々が残したい伝統って言うのは一体なんのことだ??
建築物?食生活?言葉?衣服?それらを含めた生活様式のこと??
よ~く考えてみて欲しい・・・上に挙げたモノの中に今も尚、伝統が受け継がれているものが果たして存在しているだろうか?
新しく建てられる建築物はどれもこれも安全性と合理性と効率性を最優先させた、とてもハイテクで便利なものだ。
東京あたりの高級マンションなんて、いかに便利で安全で快適にすごすことができるのかに全精力を注ぎこんで作られており、とてもじゃないが日本の伝統を守ろうなんていう気構えは微塵たりとも感じられない・・・
ビンテージデニムが流行ることはあっても、ビンテージ着物が流行ることはない。
日本語だって最近は横文字だらけで、一般人の会話ですらもはやルー大柴なみである(笑)
僕はこれが悪いと言っているわけではない。
これが元々の日本人らしさと言うか、何でもかんでも受け入れて改良して自分のものにしてしまうということこそが伝統だからだ。
そもそも我々の名前は漢字で書くが、言うまでもなくこれは中国の文化を受け継いでいる。
仏教だって元々はインドで生まれ、中国から渡ってきた文化だ。
幕末からは薩摩長州を支援したイギリスの文化が色濃く入り、男爵だの子爵だのという華族制度が出来たり、洋装が当たり前になったりした。
そして戦後はもろにアメリカ文化・・・もう例を挙げるのにもキリがないくらいに日本に浸透している(笑)
日本人はなにかいうとすぐに中国に侵略されるとか、移民を受け入れると日本の伝統文化がなんていうけれど、そもそも日本の伝統文化なんて言うのは、他から入ってきて混じり合って発展していっているものなんだから、何も今更新しい風が入ってくるのを恐れる必要など無いはずなんだ。
もちろん日本にも何百年と続いた伝統文化を守り抜いている人々がいるわけだけれど、そんなもの突然よそから入ってきて奪い取ったり出来るようなものであるはずも無いし・・・
さて、では僕達日本人がこれからも一番守っていかなければならない伝統ってなんだろうか?
もちろんそれは、何でも受け入れて独自に発展させてしまうという能力にほかならないだろう。
これこそがこの小さな極東の島国日本を支え、発展させてきた原動力であり大切な伝統文化だ。
受け入れることを恐れてはならない。
何でも来いという気構えで、ドンドンと他国の文化、人、金、何でももっともっと貪欲に受け入れるべきだ。
それが日本の守るべき誇れる伝統なのだから・・・


人気ブログランキング募金を行っています。
1クリックしていただくたびに 10円を皆さんに代わって
アジアの子供たちのために募金させていただきます。


下のボタンをクリックしてください
(新しいページが開くと完了です)


ご協力よろしくお願いします!!
ツイッターのフォローもよろしくね♪

Twitter Icon
by Twitter Icons

ツイッターのフォローもよろしくです↓

Twitter Icon

格差の架け橋 その2

さて、格差の架け橋 その1では、格差の3大要因を検討してみることによって、現在の日本の格差は広がるどころか実は収斂傾向にあるという結論を導き出してみた。
(参照)
・格差の架け橋 その1
http://hugs-int.com/kengo/archives/1155


では次に、問題がある格差とは何かということを考えてみたいのだが、これはチャンス(機会)の格差なのだと思う。
例えば江戸時代なら、町民が武士を目指すことは出来なかった。そもそもチャンス自体が存在しなかったわけだ・・・
あの自由の国アメリカですら20年前は黒人がアメフトの花形選手、クウォーターバックを目指すことは無意味だと言われていた(今は知らないが、さすがにもうないだろう)
翻って考えてみて、今の日本はどうだろうか?教育を受けるチャンス、アスリートを目指してみるチャンス、漫画家だろうが大臣だろうが社長だろうが、なりたいものを目指すチャンスは概ね格差なく存在している・・・僕が総理大臣を目指したからと言って、突然逮捕されたりはしない(笑)


今の日本人が問題にしているのは、結果の格差だろう・・・しかし結果に差がないのであれば、誰が努力をしたりするのだろう?
僕にだってゴルフを始めてプロを目指す権利はあるけれど、誰も石川遼やタイガーウッズみたいになれることを保証してはくれない。なのに僕もゴルファーだからと言って、僕とウッズとの格差が問題になって政治的にこれを抑えよとしたら、誰もゴルフなんてしなくなるんじゃないだろうか(笑)
結果には大きな格差があるのが当然であって、これが個体差というものだから、その個体差を認めないということは、人が人であるということを認めないに等しいということだ。


本当に我々が考えなければならないのは、チャンスそのものが与えられていない、本当の格差社会の底辺で暮らしている人々のことだ。
彼らには将来を夢見る自由すら与えられてはいないし、そもそも情報自体が少なすぎて選択肢の存在すら知らない・・・
僕がまさに今から力を注ぎ続けていきたいのは、この格差社会の底辺で暮らす人々に対してどのようにしてチャンスを与えることが出来るのかということ。
情報、人材を育成するための教育、そしてそれらを活かして豊かになるための資本、この格差を生む三大要因を『有る場所から無い場所へ』つなぐ架け橋の役割を果たす機能を構築したい。



まずは情報、これはやはりクラウドコンピューティングが鍵になると思っている。現在は孤児院などの運営支援プログラムを構築中だが、これは各国に住むボランティア達が子供たちの情報を共有して、常に新しい情報を教育現場に取り入れることが出来るようにする。
このプログラムが完成すれば、世界中どこの学校でも必要としてくれる場所には無償で提供するつもりだ。
これによって、人材を育成するための教育格差もかなり改善出来るはずだ。
そして豊かになるための資本。
これは現在すでに開始しているマイクロクレジットを通して、一人でも多くの人々に起業する機会を届けたいと思う。


今、日本人はこれらに必要な全てを持っている。
格差の三大要因を解消するために必要なものが『有る場所』が今の日本だ。
だから今から創るこの格差の架け橋を通じて、一人でも多くの日本人が情報、技術、知恵、資本を『無い場所』に暮らす人々に届けることによって、世界にチャンスを広める役割を果たせるようになって欲しいと思う。



人気ブログランキング募金を行っています。
1クリックしていただくたびに 10円を皆さんに代わって
アジアの子供たちのために募金させていただきます。


下のボタンをクリックしてください
(新しいページが開くと完了です)



ご協力よろしくお願いします!!


ツイッターのフォローもよろしくね♪
↓ 
Twitter Icon
by Twitter Icons

ツイッターのフォローもよろしくです↓

Twitter Icon

格差の架け橋 その1

もうかれこれ格差社会だとかいう言葉が聞かれるようになって随分経つようになってきた。
色々な人がこの格差の問題について協議したり意見を書いたりしているけれど、そもそも格差なんていうものが今更始またわけではなくて、 古くはもっと格差があったんじゃないんだろうか?
江戸時代の日本だと大名と貧しい農民なんて、とてつもない格差だっただろうし・・・(笑)
ただ、当時はほとんどの人が貧しかったから、豊かな人を目にする機会が少なくて格差自体を感じることが出来ないくらい格差があったんだろう・・・
明治維新後だってイギリス資本家の後押しを受けて事業を始めたり、政府の要人になったりした人たちと一般庶民の生活なんて、そりゃもうかけ離れすぎていて格差を想像することが出来ないくらいだったと思う。
そう考えると、現代はすべての人が豊かになってきてあらゆる人の生活状況が想像出来るようになったり、情報手段の発達により誰がいくら儲けてどのような暮らしをしているかが解るようになっていたので、急に自分と人の違いが気になりだしたんだろう・・・
今、僕が暮らしているカンボジアは日本と比較に成らないくらいの格差社会だ・・・今日生きるか死ぬか、というくらい貧しい大半の人々と、我々なんかよりも遥かに大金持ちの一握りの権力者たち。
でも、人々は格差を感じない・・・感じないと言うと嘘になるかも知れないけれど、格差を問題にしない・・・理由は上記に書いた古い時代の日本と同じ、格差がありすぎて理解できないからだ。
ということは、今の日本のように格差社会が問題になるってことは、実は格差が広がっているのではなくて、反対に狭くなっているからなんじゃないかと思う。
では本当の格差とはなんのだろう?
本来の意味で格差を作ってしまう要因を考えるとするならば、情報、人材、マネー、の3つが主な要因だろう。
まず第一要因は情報
カンボジアに限らず途上国の貧困層の人々の行動範囲はかなり狭い。一生、生まれた村から出ないんじゃないかという人や、大都市に来てみたけれど金がないからどこにも行けないなんていう人々だ。狭いコミュニティーで生活すれば自ずと情報は少なく偏ってくるし、新たな情報源すら無いということになる。
新たな発見や気づきなどと言うものは、入ってきた情報を自分なりに新しく組み直すことで得られるものであって、決して『無』から生み出されるものではない。だから新たな情報が入ってこないってことは、発展する余地が無いということなので、日々新たな情報が入ってきている人々とは格差は広がる一方になる。
次に人材
人材と人口は比例しない。教育を受けることが出来なかった人々が大半だったりすれば、新たに何かを始めようにも何もできない。別に遺伝子解析が出来るようなスキルや、定量分析が出来るような能力は必要ない。最低限字を読み書きするとか、計算をするとかそういったレベルのスキルを持つ人材すらが少ない。
日本でも教育格差とか言われているけれど、どちらかというとこれは個体差の問題であって社会構造の問題ではない。日本で例えば何かのマニュアルを渡したら、字が読めない人が大半で困ったなんていうケースはありえないだろう・・・
最後にマネー
今の世の中あらゆるサービスを受けようとすると、マネーが無くては始まらない。人が真心だけで(気持ちだけで金は出さないってこと)出来るレベルは残念ながら知れている・・・真心で原子力発電所が建ったりはしない。だから日本では当たり前に存在している電気・ガス・水道・道路などが、全く当たり前に存在していない。
他にも保健衛生サービスや、教育、交通など全てにマネーが必要になるが、基本的に格差の最底辺にマネーが流入してくる機会は殆ど皆無に等しい。

これらから考えてみても日本に格差は見当たらない、というかむしろ日々収斂傾向にあると言ってもいいはずだ。特に一番格差をつくる要因になる『情報』は、ジャブジャブに溢れている状態だ。
ただし絶対に個体差はあるに決まっていて、収入だって学力だって容姿だって違うに決まっている・・・例えば僕は背が低くて足が短いけれど、これは誰に文句を言えばいいんだ??福山雅治と僕との格差が、鳩山政権のせいだと言ってまくし立てればなんとかなるんだろうか(笑)

お腹が空いてきたので、以降はその2に続きます♪


人気ブログランキング募金を行っています。
1クリックしていただくたびに 10円を皆さんに代わって
アジアの子供たちのために募金させていただきます。


下のボタンをクリックしてください
(新しいページが開くと完了です)


ご協力よろしくお願いします!!
ツイッターのフォローもよろしくね♪

Twitter Icon
by Twitter Icons

ツイッターのフォローもよろしくです↓

Twitter Icon