朝起きてみると、前日よりは若干高山病の症状がマシになったような気がした。
といったところで、相変わらず頭は痛いし、熱っぽいし、胃も少し気持ち悪い・・・
それでも今日はこの仏教の聖地、巨大なポタラ宮に登って、
その後チベットで2番目に大きい町、シガッツェというところまで移動しなければならない。
いざ出発の時点で長江さんが部屋から出てくると、かなり症状がひどくなっていた。
顔はパンパンに浮腫んで、足元は完全にふらついている・・・
本来なら、このラサで2・3日高度に体を慣らしてから出発しなければいけないそうだが、
強行スケジュールを無理くり立てさせた手前、前に進むしか選択肢がない。
そして今日も僕たちは登っております♪
このポタラ宮の赤い部分が寺院で白い部分が事務を執り行うスペースだそうだ。
途中から内部は撮影が禁止されているので、何も撮れなかったけれど、
あちこちでお香が焚かれ、ろうそくが灯りなんとも幽玄な雰囲気だった、が、しかし、
主のいない遺跡と化してしまっているかのような印象を受けてしまった・・・
やはり、この場所にはダライラマが居て何ぼのもんではないのかと思う。
チベット独立運動も含め色々と難しい問題はあるんだろうけど、
例えばバチカンみたいな感じで、うまく出来ないもんなんだろうか?
あれだけ多くの信者がいる総本山に主が居ないのは、本当にもったいないと思う。
チベット仏教というのは輪廻転生を強く信じて、来世を願い祈り続けているのだそうだ。
僕も輪廻転生を信じているけれど、チベット仏教とはちょっと違う。
僕は今現在、輪廻転生をして生まれ変わり続けていると思っている派だ。
昨日の自分と、今日の自分、そして明日の自分は同じではない、
一瞬、一瞬に生まれ変わり続けていると信じている。
だから人は変われるし、変わってしまう・・・
チベット人たちの祈りはとても深い、でも祈っているだけでは何も変わらないのかも知れない。
極端に言えば、働きもせず死んだ後のそのまた先を祈り続けて、一体誰が救われるというのだろう?
もちろん僕はチベット仏教の教義をきちんと知っているわけではないから、
いい加減なことを言うな!とか言って怒られそうだけれど、
街中を昼間からマニ車(1回まわすと経文を1度読んだのと同じ効力があるとされている仏具)をまわし、ぶつぶつと念仏を唱えながら歩き続けている多くの人を見ての正直な感想だった。
そのような思いを抱きながら、ラサを後にした僕たちは約300キロ先までドライブを開始した。
高度が高く雲の上にいるからなのか、太陽光線が異常に強く感じるし、空の青さも半端なく青い。
ランドクルーザーの高度計もずっと3000Mを指したままぴくりとも動かない(笑)
すごく乾燥していて唇が痛いくらいだし、高山病と相まって
車に乗っているだけでも結構辛いものがある・・・
太陽の強さと空の青さに恐怖を感じたのは、今日が生まれて初めての経験だった。
ここに置いて行かれたら僕なんて一たまりもないだろうな、とか思いながらも
この厳しい自然環境の中でも日々を暮らしている人がいることに、人間の強さを感じた。
あぁ、そうそうシガッツェのホテルの1階に散髪屋が入っていて頭を洗ってもらいに行った。
さすがに散髪してもらう勇気は無いから♪
普通のいすに座るとおもむろに頭にシャンプーをたっぷりかけられて
ガシガシと洗い始めた。
どうなることか心配していたら、結局は別の場所に洗い流す場所があったっていうオチだった。
これがチベット式なんだろうか?(笑)