世界第2位の経済力を持つ裕福なはずの日本人がどうしてこんなにも元気がなく、精神的にだけではなく経済的にも豊かさを感じることができないのか、ということをいつも考えていた。
特に最近世間では貧しいと言われている国々に行く機会が多く、その国に住む人々が必ずしも可哀そうな人たちではないばかりか、ともすれば日本人よりよっぽど何かどこかが豊かに感じられることが多々あることに気がついた・・・
この違いは何なんだろうとずっと考えていたんだけれど、ようやくなんとなく原因がわかってきたような気がしている。
というのも貧しいけれど金がなくても生きていける貧困国と、豊かだけれど金がなければ生きていけない日本、どちらが生きていくのに楽なのか、ということが一つの答えになるんじゃないかと思っている。
この金がなければ生きていけないという部分が曲者だ・・・
そもそもほとんどの人は自分の人生の時間を切り売りすることで金を稼いでいる。
なんの仕事をしていようが金を稼ぐために自分の本意でない仕事をしている限り、金と自分の人生そのものの価値を交換しているに過ぎないし、そのこと自体に問題があるわけではない。
考えなければならないことは、その貴重な限りある人生の時間を切り売って稼いだ金で、差し出した自分の人生の時間以上の価値を得ることが出来ているだろうかということだ。
とてもシンプルな考え方をすると、差し出したものより得るものが多い場合は豊かに、得るものより差し出したものが多い場合は貧しくなるというのは誰にでもわかることだ。
ということは、自分が金を得るために差し出した時間の価値以上の何かをこの金で得ることがなければ、働けば働くほど大切な何かを失っていっているということになる・・・
豊かさ(リッチ度)というのをお金という経済の物差しのみを持って計ろうとしているから、この簡単な事実に気がつかないようになってしまっているんだと思う。
本来の豊かさとは、経済的、精神的、物質的、時間的などあらゆる概念を統合し初めて実感できるもののはずだ。
貧しい国の人たちは確かに得ている金が少ないから経済的に貧乏なのは事実だけれど、その代りに失っているものも日本人よりはるかに少ない。
経済国に生きている以上金を稼ぐために多くの価値を差し出している日本人の方が、トータルすると人生のマイナスが大きいってことになるんだと思う・・・
だからこれからみんなはどうやって自分が稼いだお金を有意義に使うか、自分の差し出した価値以上のものに交換するのかを考えるべき時代になってきている。
ただ生きていくためだけに使うとか、老後の不安のために貯金するだけだとか、ブランドものを買うとか、ギャンブルをするとか・・・それが本当に自分の人生以上に価値があることなのか常に考えてみよう。
自分の人生以上に大切なお金なんて存在しないし、幸せや豊かさを計る物差しは経済の物差しなんかじゃない。
そのことを貧しいと言われているけれど幸せに暮らしている人々はみんな知っている・・・
お金は大切なものを手に入れる手段の一つでしかないことに気づいてほしい。
そして真の意味でリッチになって、日本を豊かで幸せな国にしよう!
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