今日からのネパール入りのため、いったん昨日はバンコクにやってきた。結構風変わりな国に出入りしている割に、実はバンコクに来るのは今回が初めてだ。
でもバンコクに関しては僕より詳しい人がいくらでも居そうなので、僕がなにやら書いても面白くなさそうだからやめておきます(笑)
今日は孤児院の話を交えながらカンボジアの総括をしてみたいと思う。まず一番に言えることは、もうカンボジアはかわいそうな国ではないってことだ。
もちろんまだまだ色んなサポートが必要なことは確かだし、両親や身寄りのない孤児たちが条件的にかわいそうであることは確かな事実だ。でも、これ以上彼らを、かわいそうな恵まれない人々にしていてはいけないと思う。
今回のカンボジアで一番に感じたことは、彼らがサポートされることに慣れてしまっているってことだった。
それはされて当たり前だからありがたがっていない、とかいうような気分の悪いものではない。
彼らは本当にサポートされることに感謝している、が、サポートされることが全ての前提になってしまっている。
僕から言わせれば、カンボジアは本当にたくさんの可能性を秘めている。水は豊かで、放っておいてもジャングルになるくらい植物が成長する。巨大な湖もあって魚も豊富だし、海だってある。
どちらかと言えば、日本のほうが資源も無くて国土も狭く、その上に山ばかりで地震もある。
さらには戦争に負けて武力的な威嚇行為も全く出来ない、という世界の最貧国の一つになってもおかしくない条件だらけだ。
そういった意味でもこの国が今後発展する条件は探せばいくらでも見つかるけれど、唯一の問題点とすれば、この貧困ビジネスというか、恵んでくださいビジネスから脱却できていないことだと思う。
あちこちの孤児院に行って正直に感じたのは、子供たちは自分のことをかわいそうとか悲惨だとか思っていない。
でも大人たちの言葉だけで、自分たちがかわいそうという条件に該当することを知っている。
そしてその子供たちが、かわいそうを売りにして援助を受けることになれて、大人になってしまったときにはもう取り返しがつかないだろう。
今回は同じ孤児院を支援している立場として、サラとポールとは本当に良く話をした。
そして同じ思いとして持っていることは、子供たちを永遠にサポートすることなんて出来ないし、それをする気持ちも無いってことだった。
僕たちが出来ることは、機会やチャンスを少しでも見つけて与えていくことだけ。
そしてそれを自分たちで掴み取って形にし、自立していくということは彼ら自身でしか出来ない。
美味しいご飯が食べたければ、どうすればそれが出来るのか考えるようにしなければならない。
経済学的に考えれば、世の中の景気を良くするためには、お金が無い人にお金を持たせるしか方法が無いはずだ。
それは学の無い僕の言うことも、素晴らしい経済学者が言うこともさして変りはないはずだ。
今更ビル・ゲイツが1兆円ばかり余分に稼いだところで、世の中何にも変わりはしない(笑)
FRBのベン・バーナンキ議長が世の中の景気を良くするためには、ヘリコプターで札をばら撒けばいい、なんていう名言を吐いて『ヘリコプター・ベン』なんて異名をつけられているが、あながち間違いではないんだろう。
そして、カンボジアの人々はそのお金が無い人たちで、ばら撒く対象に間違いなく入っている。
来年度には証券取引所が出来、インフラ整備をする余地は腐るほど残っていて、人々は概ね御人好しで単純だ。
近年中に低所得者などを対象とした不動産ローンなどで、いったん金(数字)が人々の手に渡るようになるだろう。そうなった時に、この子供たちがお金や社会のことを何も知らず、貰うばかりで自立できない大人になってしまっていたときこそ、本当にかわいそうな人になってしまう。
これからも言葉としての日本語を伝えるだけでなく、日本語を教えながら日本の良い部分から学び、悪い部分からどうすればいいのかを一緒に考えていきたい。
そして、それが必ず日本の未来にも繋がっていると思う。
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