ネパールと一口で言っても、中心部のカトマンズと山間部の村では何もかも事情が違う。
同じなのは携帯の国際電話が繋がりにくいことくらいだ。
僕が今回購入したSIMカードは、Meroという会社のものなんだけど、
なぜか日本からの着信番号表示が、使用されていないネパールの電話番号になる・・・
一体どういう仕組みになっているんだろう??(笑)
そんなことはともかく、ネパールの山間部は昔の良き時代の日本に本当に似ている。
多分僕よりも、僕の両親の世代の人たちのほうがそれを強く感じるだろうと思う。
それぞれの家には家畜がつながれていて、生えている木や草も日本のもの近い気がする。
あの都会のけたたましさが嘘のようで、丸っきりの別世界だ・・・
この人たちが都会に出れば、あんな野蛮なクラクションを鳴らしたりするんだろうか?
とか思っていたら、やっぱりばっちり鳴らしまくっていた(笑)
どうしてこの国はこんなにまで常識が違うんだろう?って色々と考えてみたんだけれど
どうやら多民族国家であることが原因なような気がしてきた。
同じ東南アジアの途上国でも、カンボジアではここまで常識が違うと思うことは無かった、
なぜなら日本と同じ、ほぼ単一民族国家だからだ。
ところがネパールのように色々な民族が入り乱れ、そこに色んな文化が西から東から入ってくると
自分が当たり前だと思っている常識(共通認識)が通じない相手がゴロゴロいることになる。
自分の常識、相手の非常識という具合になるなら、最初から常識を作らなければいいと考えるのが
もっとも効率的な選択肢として残ってきたのだろう。
だから、同じような人々が集まっているところでは常識的でのどかな人々も、
ひとたび街中に出れば、そんなこと言っていられないということになるんだろう。
日本人の国際的な政治力がどうしても弱いことの一つの要因は、
単一民族国家に育ったがために、あまりにも常識的過ぎるからかもしれない。
そしてもう一つは、カーストの存在も理解をさらにややこしくしている。
洗濯屋、肉屋、掃除屋といったところから、珍しいものでは爪きり屋というカーストまで存在しているらしい。
カースト=差別という図式で捕らえるのが、まぁ普通の常識で
アムネスティーあたりの人権団体は目を三角にしてカースト撤廃を叫んでいることだろう。
でも、そんなことはもちろん本人たちも良くわかっていて、人間は全て平等だと知っている。
あえて言うなら、男性と女性という二つのカーストがあるくらいでしょう、と言う意見だ。
それを知っていながらも、カーストが無くなればネパールの文化が全く違うものになってしまう、
市場の様子も何もかもが変わってしまう、それはそれで問題だと言っていた。
そう、世界も常識も人も全て全然違うから面白い。
もし世界中の連中が僕みたいなやつばかりだったら、僕は気が狂って死んでしまうだろう(笑)
今このブログはポカラの空港の待合室で、例のごとくワードに書いているんだけど、
実はさっきから全然飛行機が来ない(笑)
予定の飛行機が壊れたらしく、別の飛行機を準備中だそうだ・・・
航空会社の名前は、その名もブッダエアー!! 墜落してお釈迦になっても全く笑えない・・・
もちろん座席指定など存在しない♪
最近どんどんと乗る飛行機が小さくなっている気がする(笑)
さて、明日からチベットに行くことになるんだけど、ネット環境はどうなんだろうか?
あんまり期待できないので、関係者のみなさん連絡が取りにくい場合はごめんなさい。