人っていう生き物は、自分が想像しないことを行動に移すことは出来ない。だからその反対に、行動しないことに対してはもの凄く想像力が低くなってしまう。何が言いたいのかって言うと、例えば嘘をつかない人は、相手が嘘を言うという想像力があまり働かないから結構簡単に騙されてしまうよね、って話です。
僕はカンボジアで仕事をしていて、ある程度クメール語を話すことは出来るんだけれど、ビジネスシーンやネイティブのスピードでガンガン話をされるともう全くついて行けない。そうなってくると頼みの綱は一緒にパートナーを組んでいる相棒ってことになるんだけれど、もしこいつが悪いやつなら僕が言葉が理解できないことをいいことに、勝手に自分たちの都合の良い話を進めて、こちらが一方的に損をさせられることになりかねない。
実際に、蓋を開けてみると通訳に一番騙されていたなんて話はよく聞く話。僕も先日パレスチナに行った時は、明らかに通訳の『押しかけガイド』にレストランの請求金額を上乗せされてた。。。こっちは善意で一緒に飯食ったのにとっても残念な話だったけれど、騙し合いをしてでも生き抜いている人からすれば、まぁ当たり前の話なのだろうから、騙された僕たちが甘かった。
で、旅先は一瞬の出来事だからそれも話しのネタの一つとして面白いからいいけど、ビジネスをして生活をしているカンボジアではそうはいかない。だから僕は誠実で、人を騙してでも這い上がってやろうなんていうことを考えない人と一緒に仕事をしている。ただしそれは前述の様に誠実であるがゆえに騙しに対する想像力が弱くてカモられやすい、ということにも繋がってしまう弱点があるのよね・・・
いや、まぁ大きく騙されたりはしないからいいんだけれど、なんていうの、そんな適当なその場凌ぎの返事信じて帰ってくんなよw、みたいなことはしょっちゅうあるのですよ、これが。しかもカンボジア人って、基本的に優しい(めんどくさがりとも言うw)から、相手の適当な嘘を突っ込まずにスルーしちゃう。なので「もっとそこアグレッシブに突っ込んで追求しようよ」、ってもどかしくて背中がモゾモゾする日々を送っています。
これを克服するのが性悪説に基づいた考え方なんだろうけれど、これを文化も言語も違うみんなで共有していくのって難しいなぁ。しかも僕自身が性善説で教育を施された典型的な日本人だから余計に・・・ みんなどうやってるんだろう